今日は、父の誕生日です。
もし生きていれば、今日は77歳だったはず。
でも、父は僕が17歳のときに亡くなりました。
47歳でした。
そして今年、僕も47歳になります。
気づいた瞬間、ふしぎな感覚に包まれました。
父が最後に生きた年齢と、僕が今、生きている年齢が重なる。
「越える」とか「追いついた」とか、そんな簡単な言葉では言い表せない、
なんとも言えない気持ちが胸に広がりました。
父の47年間って、どんなものだったんだろう。
僕よりずっと早く家庭を持ち、
がむしゃらに働いて、
家族を支えながら生き抜いた人生。
今、自分が同じ年齢になってみて、
ようやく少しだけ、父の姿が見えた気がします。
子どもの頃は分からなかったことも、
年齢を重ねた今だから、分かることがある。
無言のまま背中で示してくれた“男の人生”を、
ようやく受け取れた気がするんです。
父に会って、いまの自分の話をしてみたい。
仕事のこと、人生のこと、
あの頃の自分じゃ語れなかったことを、
同じ目線で話してみたかった。
でも、それはもう叶いません。
だから僕は、
これからの人生を“父のその先”として生きていきたいと思っています。
父が見られなかった景色を、
僕が見ていく。
父が感じられなかった時間を、
僕が生きていく。
“今を生きている”この感覚を忘れずにいたい。
だから今日、この気持ちを、
そっとここに書き残しておこうと思いました。
こんにちは。
僕がピアノを始めたのは、3歳のときだった。
姉のピアノ教室に付き添いで行った時、僕も興味を持ってしまって、姉と一緒に習うことになった。
でも、姉はすぐに辞めて、僕だけが教室に通うようになった。
だけど、中学生になるころには自然とやめていた。
当時は医者になることを目指していたから、塾の忙しさで、気づけばピアノから離れてしまっていた。
それでも、音を出すのが好きだった。
だから、時々、家の鍵盤に触れていた。
でも、実は僕、楽譜は読めない。
昔からどうしてもダメで、赤字でフリガナを書いてもらっても、頭に入ってこない。
先生の手の動きをじっと見て、それをそっくりそのまま覚えて弾いていた。
だから、手本がなければ弾けない子どもだった。
そんな僕が、大人になって――
最近になって、あらためてピアノに向き合う機会をもらった。
きっかけは、YouTubeで一緒に番組を作っている柏崎さん。
彼は、アメリカで音楽を専門的に学び、ピアノも本格的に教えられる人。
何気なく教えてもらったとき、言われた一言が、心に刺さった。
「楽譜ってね、作曲家の“想い”が詰まってるんだよ。」
――想い?
その言葉に、ドキッとした。
僕はずっと、自分の耳と感覚だけを頼りに音を追いかけていたけど、そこに“誰かの心”を感じたことは、正直なかった。
楽譜に忠実に音をなぞること。
それはただの「お手本通り」じゃなかった!!!!
作曲家が、その時、その瞬間に感じた感情、
言葉にできなかった願い、想像していた景色――
そういったものが、小さな音符たちの中に詰まっていた。
それを知ったとき、僕の中で何かが静かに変わった。
今までは“自由に弾くこと”だけが正解だった。
でも、“誰かの想いを自分の手でなぞる”という美しさが、こんなにも深くて温かいものだなんて。
自由に奏でることも素晴らしい。
でも、譜面を通して人の想いにふれるという体験もまた、
心の奥を静かに震わせてくれるものなんだ。
ピアノって、音を鳴らす道具じゃなくて、
人の心と心をつなぐ、ひとつの手段なんだなと――
改めて、そんなことを感じた。
きっとこれからも、僕は楽譜をすらすら読むことはできない。
それでも、音の奥にある“誰かの想い”を、手で感じながら、
ゆっくり、丁寧に弾いていけたらと思っている。
神社 昌弘
こんにちは。
神社昌弘です。
「神社さんって、スピってますよね。」
そう言われるたびに、正直ちょっと嫌な気持ちになる。
いや、たしかに否定はできない。
僕は、イギリスでサイキックサイエンスを学んできたし、陰陽道や精神世界の学びも深めてきた。
“目に見えないもの”を大切にする生き方をしてきたから。
でも、いわゆる「スピリチュアル」のイメージで語られると、どうにも引っかかる。
いまだに、スピリチュアルは「怪しい」「現実逃避」「ふわふわしてる」といった偏見が根強くあって、まるで、“ちゃんと生きてない人の道具”みたいな扱いを受けることもある。
しかし、真面目に研究している人や、
現実と折り合いをつけながら真摯に取り組んでいる人まで、
まとめて“変な人”のように見られてしまうのは、やっぱり悔しい。
僕が目指してきたのは、
現実を生きるためのスピリチュアル。
空に逃げるためではなく、
地に足をつけて歩くための、もう一つの地図!
だから僕は、占いやご利益だけに飛びつくようなものにはならないように、
常に「現実」と「心」のバランスを見ながら、カウンセリングや講座をしてきた。
クライアントの人生が、ちゃんと前に進むために。
自分自身もまた、ちゃんと日常を丁寧に生きるために。
そういうスピリチュアルが、もっと認められていい。
そう思うんです。
感覚を信じることは、逃げじゃない!
目に見えない世界に敬意を払うことは、甘えでも依存でもない!
そこには、古くから日本に息づいている知恵もあるし、
深く研究してきた人たちの探究もある。
僕は、スピリチュアルを信じている。
でも、それを使って誰かを上から導くつもりも、
「特別な人」と思われたいわけでもない。
ただ、
“まともに生きようとしている人が、まともに語れるスピリチュアル”を、
これからの時代に、もっと広げていきたい。
もし、僕と同じように
「スピってるって言われるのが嫌だな…でも、本当は好きなんだよな」
そんな想いを抱えている人がいたら、その“感覚”を、胸を張って大切にしていいと思います。
それは、あなただけの“見えない力”とつながる道だから。
ちなみに、あなたはこれまでに、
「スピってるね」と言われたこと、ありますか?
それをどう受け止めてきましたか?
“見えないけれど、大切なもの”と、
どう向き合い、どう生きていくのか。
そんなことを一緒に考えていけたら嬉しいです。
神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
3年前の春。
僕は東京への拠点移動を決め、理想のマンションを探して奔走していました。
土地勘もエリアの希望も明確で、予算も見えていたので、
「きっとすぐに、良い場所が見つかるだろう」
そう思っていたんです。
ところが――
なぜか、何をどう探しても、決まらない。
良いと思った物件はタイミングが合わず、
内見に行けば、写真とまったく印象が違う。
申し込もうとしたら直前で他の人に取られてしまう。
いくつも、いくつも、ことごとく流れていく日々。
このとき、ふと頭をよぎりました。
――あ、今って「春の土用」だ。
僕は陰陽道を学び、暦の流れを日々意識して生きています。
ですから、「土用」の時期に大きな決断や契約ごとを避けるのが望ましい、ということも知っていました。
でも当時は、「間日(まび)」を選べば大丈夫だろう。
心身を整えていれば、流れに乗れるはず――そんなふうに、どこかで都合よく考えていたんです。
しかし、いくら整えても、何度動いても、決まらないものは決まらない。
そして、春の土用が明けて数日後。
ある日ふと見つけた物件情報が、直感で「ここだ」と感じた。
実際に行ってみると、駅からの距離、間取り、空気感、家賃……すべてが理想通り。
その場で即決しました。
迷いは一切なかった。
そこからの流れは本当にスムーズで、引っ越しの手続きも滞りなく進み、
家具や家電も“ぴったり”のものが次々に見つかっていきました。
まるで、今までの停滞は「時を待ちなさい」と言われていたかのように――。
この出来事を通して、改めて強く感じたことがあります。
それは、人の意志だけでは越えられない「自然の流れ」が、この世界には確かにあるということ。
たとえどれだけ心を整えても、
「時」が整っていなければ、動けないこともある。
陰陽道では、土用は“変わり目”の時期!
気の切り替わりが起こるこのタイミングでは、
あえて静かに過ごし、流れが変わるのを待つことが大切なのです。
「うまくいかない」のではなく、
「今じゃないだけ」という感覚。
僕自身、この感覚を実体験として体に刻みました。
焦らず、抗わず。
“その時”が来れば、すべてが一気に進み始める。
この自然のリズムと調和して生きることが、
本当の意味での「運に乗る」ということかもしれません。
もし今、何かが滞っているように感じている方がいたら、
無理に進もうとせず、一度立ち止まってみてください。
見えない流れに耳を傾けたとき、
あなたにとっての「ぴったりの場所」や「ぴったりの時」が、必ず見つかります。
🌿ご案内
神社昌弘のカウンセリングでは、
陰陽道の知恵と心理学の視点を掛け合わせながら、
“いま”のあなたに必要なタイミングと選択を、一緒に整えていきます。
▶︎ 個人カウンセリングの詳細はこちら
https://kanja.info/contents_507.htmlこんにちは。
神社昌弘です。
僕は、小学5年生のとき“自家中毒”という体調不良で、
学校に通えない日が続いていた。
理由もわからず、心も身体も苦しくて。
そんなある日、
父が手渡してくれたのが
手塚治虫の『ブッダ』全巻だった。
仏教とか宗教とか、そんな言葉の意味は当時よくわかっていなかった。
でもブッダの生き方は、「どう生きるか」ではなく「どう在るか」を教えてくれた。
その時、心に刻まれた言葉がある。
「苦しみの中にいても、心が乱れなければ、それは苦ではない。
今思えば、この一言が、
20歳でクローン病を発症し、
4年間絶食し、8度の手術を経てもなお、希望を失わずにいられた理由だったのかもしれない。
僕は今、カウンセラーとして人の悩みや苦しみに向き合っている。
「どうすれば前向きになれるか?」
「幸せになるには?」
そんな問いの先に、ブッダの教えは静かにたたずんでいる。
小5のときに出会ったブッダの姿勢。
「争わず、誠実に、静かに、今を生きる」
その教えが、47歳の今も、僕の背骨になっている。
神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)