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お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2025/05/11

今日は母の日ですね。



先日から、花屋さんの前にはカーネーションが並び、

少し照れくさそうに花を選ぶ人たちを見かけました。

 

この日が来るたびに思い出すのは、

クライアントさんとの何気ない会話の中で、よく出てくる言葉です。

 

「義母のことなんですけど……」

「夫のお母さんが体調を崩していて……」

「お義母さんから頼まれると、断れなくて……」

 

そう。


母の日は“感謝”のイメージがあるけれど、

同時に“義理の母との距離感”に、もやっとする人も実は多いのです。

 

僕のクライアントさんの多くは、

とても真面目で、賢くて、チャーミングな女性たち。


気立てもよく、愛想もいいから、

つい周りの期待に応えすぎてしまう。

 

特に義母からの頼まれごとには、

「断れない」

「角を立てたくない」

「自分が我慢すればうまくいく」

と思ってしまう。

 

でも、それって本当に“やさしさ”なんでしょうか?

 

自分をすり減らしてまで応えることが、

本当に家族のためになっているのか?

 

母の日だからこそ、あえて言いたいんです。

 

「ありがとう」を伝える日だけど、

自分にも「ありがとう」を言ってあげてください。

 

家族のためにがんばってきたこと。

角が立たないように気を配ってきたこと。

何も言わずに受け入れてきたこと。

 

どれも、立派な“愛”です。


でも、あなたの心が悲鳴をあげているなら、

少し立ち止まってみてもいいんです。

 

期待に応えられなくても、

あなたの価値が下がることはありません。

 

「断ること=冷たい」じゃない。

「距離を取ること=不義理」でもない。

 

むしろ、自分を大切にできる人の方が、

本当に周りにやさしくなれると僕は思います。

 

だから今日は、

「がんばりすぎる優しさ」に、そっとエールを送りたい。

 

あなたが今日、

ちょっとでも心穏やかに過ごせますように。

 

そして、心の中で、

こっそりこうつぶやいてみてください。

 

「ありがとう。

 でも、ちょっと疲れたから、今日は自分を優先してもいいかな」

って。

 

神社 昌弘(かんじゃまさひろ:本名)


2025/05/10

こんにちは。

神社昌弘です。


先日のゴールデンウィーク、ある友人から、ふと届いたメッセージがありました。


「たすけて」


そのひと言に、迷わず動きました。


風邪をこじらせて、しばらく動けないとのこと。


ドラッグストアで、風邪薬、栄養ドリンク、ビタミンゼリー、冷えピタに食料品――

思いつく限りのものを詰め込んで、お見舞いに向かいました。



手渡しながらふと思い出したのは、

僕がクローン病で、長く寝たきりになっていた頃のことでした。


病人は、つらい。


でも、目の前の人がつらそうにしているのに、何もできない看病する側の方も、

同じくらい、いや、それ以上につらいのかもしれません。


あの頃、母はどんな想いで、僕のことを見守ってくれていたのだろう?


毎晩、点滴が止まっていないか、2時間おきに僕の部屋をのぞいていたと聞いたとき、言葉にならない気持ちが込み上げました。


病気の本人以上に、看病する人が“何もできない苦しみ”を抱えていること。


今になって、ようやく、少しだけわかるようになった気がします。


ただ「ありがとう」


それしか言えない。


でも、それだけは、ちゃんと伝えたいと思いました。


神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)

2025/05/09

カウンセリングをしていると、よく聞かれます。


「心配しすぎる性格を、どうにかしたい」

「もう少し、ラクに生きられるようになりたい」

「頑張りすぎて疲れてしまう自分を、変えたい」——と。


けれど、

「心配しないでください」

「頑張らなくていいんですよ」

そんな言葉は、案外、響きません。


それは、すでに本人が一番よくわかっているから。


それができないから、苦しんでいるのです。




人の性格や気質というのは、長い時間をかけて培われたもの。

それを変えるには、「気合い」や「一言」では動かないのが現実です。


でも、その中でも希望はある。


それは、


「変わりたいと思っている自分が、ここにいる」


という事実です。


変われないのではなく、

今はまだ、本気で変わる準備が整っていないだけなのかもしれません。


人は、ある意味、“死ぬような体験”をしないと、本気では変われない。


僕自身も、クローン病を通してそれを体験してきました。


だから、カウンセリングでは焦らずに、

相手の話をただ、誠実に聴きます。


アドバイスではなく、傾聴と尊重からはじめます。


小さな気づきが、

やがて大きな行動に変わるその瞬間まで、

信じて、付き合い続けるのが僕の仕事です。


それでも、特に“身内”に対しては、

なかなか変化を信じられない自分が顔を出します。


言っても伝わらない。

わかってもらえない。


何より、心がすり減る——


だからこそ、僕はあえてこう伝えたい。


「変わってもいいし、変わらなくてもいい。
でも、いま苦しいなら、“いまと同じこと”を繰り返さない方がいい。」

その一歩が、いつかあなた自身の未来を救ってくれるから。


今日もまた、そんな想いを胸に、

僕はひとりひとりと向き合っています。


神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)


2025/05/08

ゴールデンウィークに、映画『ベイマックス』を観ました。




…といっても、もともと僕は、

ディズニーも、アニメも、まったく興味がなかったタイプです。


きっかけは、友人からのプレゼント。


ディズニーランドのチケットをいただいて、

“人生で初めて、大人になってからのディズニー”へ。


そして、ふらっと乗ってみたアトラクション――


ベイマックスのライド。


最初は、「なんなのこの雪だるま?」くらいの感覚だったんですが(笑)、

なぜか、印象に残ったんです。


ゆるくて、真っ白で、

何を考えてるのかわからないけど、なんだか、気になる存在。


そして、帰ってから映画を観てみた。


正直、びっくりしました。


子ども向けかと思いきや、

大人こそ、心を揺さぶられるストーリー。


「ケアとは何か?」
「癒しとは何か?」

まさに、カウンセラーとしての自分にも深く刺さるテーマでした。


ベイマックスは、人の心を癒すロボット。


でも、彼がしていることは、

実は僕たちが日々やっていることにとても近い。


ただ黙ってそばにいること。

必要なときに声をかけること。

相手の痛みを“評価せず”に、認めること。


それは、何か特別な力ではなく、

「誰にでもできる、やさしさの形」

だと改めて感じました。


僕もまた、誰かの心のベイマックスになれるように。

今日も、声を聴きながら過ごしています。


…それにしても、ベイマックス。

なんであんなに、かわいいんでしょうね(笑)


神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)


2025/05/06

僕は時々、一人でカラオケに行きます。


理由は単純。

ただ、大きな声を出したいだけ。


ストレスを発散したくて。

そして、何より――ただ楽しみたいから。


でも、不思議なもので、

2回目、3回目と通ううちに、少しずつ“変化”が起きました。


最初は歌うことが純粋に楽しかったのに、

いつの間にか、画面に表示される“点数”が気になり出していたんです。


「え、89点か…。もう一回やり直そう」

「95点超える曲だけ、選ぼうかな」


そんなふうに、“楽しさ”よりも“正しさ”を求めて、

「うまく歌える曲」ばかりを選ぶようになっていた。 



これって、人生と似ているなと思いました。 


ほんとは歌いたい曲がある。

ほんとはやってみたいことがある。


でも、「失敗したくない」

「うまく見せたい」

「人からどう見られるか気になる」――


そんな理由で、

“うまくやれること”ばかりを無意識に選んでしまっていた。



大人になるって、

そういうことなんだろうか。


無難にこなすこと。

叱られないように動くこと。

目立たずに、安全に生きること。


でも、本当にそうだろうか?

それって、自分の人生を「点数」で測るようなものじゃないか?


もちろん、まわりの目も気になります。

うまくやりたい気持ちもあります。


でも、それよりも、

「心から楽しむ」という感覚だけは、忘れたくないと思いました。


“正しさ”に縛られて、

“楽しさ”を見失ってしまうくらいなら、

たとえうまくできなくても、

自分がワクワクする方を、選びたい。


今、あなたがやっていること。

ほんとうに心が動いていますか?


それは、「歌いたいから歌ってる」ことですか?


僕は今日も、点数は気にせず、

ちょっと懐かしい好きな曲を、

誰もいない部屋で思いっきり歌いました。


正解じゃなくて、

共鳴するものを選べる人生でありたいですね。


神社 昌弘


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