昔、僕は書道、茶道、華道を習っていました。
小さな頃から、父や母に教わったり、
その後も、きちんと教室に通ったりして。
イギリスで日本語教師をしていた頃には、
日本文化を伝えるために、
生徒たちにそれらを教えたこともありました。
どれも、本当に素晴らしい世界でした。
でも、どれも数年しか続かなかった。
別に、嫌いでやめたわけじゃない。
むしろ、その奥深さに、心から敬意を抱いていました。
ただ、「道」がつく学びは、深くなればなるほど、
型が厳密に決まり、はみ出すことが許されない世界になる。
それに、僕は、どこか息苦しさを感じてしまった。

もっと自由でありたい。
もっと、自分らしく在りたい。
そう思う気持ちが、だんだん強くなって、
その場を離れる選択をしてきたんだと思います。
昔は、そんな自分を責めていました。
「続かないなんてダメだ」とか、
「ちゃんとできない自分は弱い」とか。
でも、今は少しだけ、思えるようになりました。
型通りも、素晴らしい。
自由でいることも、素晴らしい。
どちらが正しいとか間違っているとかじゃない。
何より、
あの時、ちゃんと伝統にふれたこと。
あの時間があったからこそ、
今の僕の中に、“静かな芯”みたいなものが、
育っている気がします。
学べたことに、心から感謝しています。
たとえ、道半ばであったとしても。
17歳のとき、父が亡くなりました。
まだ47歳という若さでした。
葬儀には、900人以上の方が参列してくださいました。
その人数に、ただただ驚いたのを覚えています。
「この人は、本当に多くの人から慕われていたんだ」
目の前に広がる人の波を見ながら、そんなことを思いました。
でも──
そんな父のことを、僕は正直、大嫌いでした。
理由はただひとつ。
父は、いつも“人にばかり”優しくして、 自分自身や家族に対しては、いつも後回しだったから。
外では「素晴らしい人」と言われていた父。
けれど、家ではどこか遠い存在で、 反抗期だった僕は、父を無視し、ひどい言葉をぶつけることもありました。
今思えば、まったく“いい子”ではなかったと思います。
でも不思議なことに、 あの頃の父と、自分の姿がどこか重なることがあります。
家の中では不機嫌で、外では“いい人”。
周りに気を遣いすぎて、自分の気持ちは後回し。
「父みたいにはなりたくない」と思っていたはずなのに、 僕もまた、同じような生き方をしていたのです。
大人になるとは、 もしかすると「自分の中にある父親と和解すること」なのかもしれません。
父は、たしかに誰からも好かれる人でした。
そして、きっと、家族のことも大切に思っていたのでしょう。
ただ、不器用で、自分の気持ちを上手に出せなかっただけ。
それに気づけたのは、大人になってからでした。
今、カウンセラーとして多くの方と向き合う中で、 「自分を後回しにしてきた人」の言葉を、何度も聞いてきました。
「家族のために頑張ってきた」
「誰かを守るために我慢してきた」
「本当は泣きたかったけど、泣けなかった」
そのたびに、ふと思い出すのです。
あの葬儀の日の、あの光景を。
無理して、我慢して、頑張りすぎたその先で、 自分自身が壊れてしまうこともある。
だからこそ、声を大にして伝えたいのです。
自分を大切にしてください。
無理をしすぎないでください。
あなた自身が、あなたの人生の中で一番大切な存在なのです。
誰かを大切にすることと、 自分を大切にすることは、矛盾しません。
むしろ、自分を大切にできる人こそが、 本当に誰かを大切にできるのだと思います。
父の死から、もうすぐ30年。
僕は今年、父が亡くなったときと同じ47歳になります。
ようやく今、父に心から言えます。
「あなたの生き方も、ちゃんと見てたよ」って。
最近、ホームページの文章やレイアウトを見直す作業をしていました。
誰に、何を、どう伝えるのか。
どうすれば、訪れてくれた方がホッとできるのか。
そんなことを、静かに一つひとつ整えていく時間でした。
この作業の中で、ふと気づいたことがあります。
「心を整える」ということと、まったく同じだな。
日々の生活も、頭の中も、気づけば色んなものが溜まってきます。
本当は手放してもいいのに、
「いつか役立つかも」「これは必要かもしれない」と思って、
無意識に抱え込んでいることって、たくさんありますよね。
ホームページを整えていたら、
「これ、いらないかも」
「これは、もっと大切にしたい」
そんな“心の声”が、ふわっと浮かんできたのです。
整えることは、詰め込むことではありません。
むしろ、「そぎ落とすこと」「ゆるめること」。
そして、「本当に大切なものと、もう一度つながること」なのかもしれません。

これは、人生にも、心にも、人間関係にも言えることだと思います。
今、あなたの心の中には、
まだ“ごちゃついたままの棚”があるかもしれません。
頭では分かっているけれど、片付ける余裕がないまま、
なんとなくモヤモヤを抱えて過ごしている…
そんな感覚がある方も、きっと多いのではないでしょうか。
だから今日は、ほんの少しでもいい。
自分の内側に、静かに目を向けてみませんか?
「これは、今の私にとって、本当に必要かな?」
「私は、何を大切にしたいと思っていたんだろう?」
そんな問いを自分に投げかけてみるだけでも、
きっと、何かがふっとほどけると思います。
私はこれからも、心を整えるお手伝いをしていきたいと思っています。
それは、誰かの人生がほんの少し軽くなること。
そして、その人自身が、“本来の自分”に戻れる時間を届けること。
あなたが、あなたらしくいられるように。
今日も、心穏やかな一日になりますように。
今日は、父の誕生日です。
もし生きていれば、今日は77歳だったはず。
でも、父は僕が17歳のときに亡くなりました。
47歳でした。
そして今年、僕も47歳になります。
気づいた瞬間、ふしぎな感覚に包まれました。
父が最後に生きた年齢と、僕が今、生きている年齢が重なる。
「越える」とか「追いついた」とか、そんな簡単な言葉では言い表せない、
なんとも言えない気持ちが胸に広がりました。
父の47年間って、どんなものだったんだろう。
僕よりずっと早く家庭を持ち、
がむしゃらに働いて、
家族を支えながら生き抜いた人生。
今、自分が同じ年齢になってみて、
ようやく少しだけ、父の姿が見えた気がします。

子どもの頃は分からなかったことも、
年齢を重ねた今だから、分かることがある。
無言のまま背中で示してくれた“男の人生”を、
ようやく受け取れた気がするんです。
父に会って、いまの自分の話をしてみたい。
仕事のこと、人生のこと、
あの頃の自分じゃ語れなかったことを、
同じ目線で話してみたかった。
でも、それはもう叶いません。
だから僕は、
これからの人生を“父のその先”として生きていきたいと思っています。
父が見られなかった景色を、
僕が見ていく。
父が感じられなかった時間を、
僕が生きていく。
“今を生きている”この感覚を忘れずにいたい。
だから今日、この気持ちを、
そっとここに書き残しておこうと思いました。
こんにちは。
僕がピアノを始めたのは、3歳のときだった。
姉のピアノ教室に付き添いで行った時、僕も興味を持ってしまって、姉と一緒に習うことになった。
でも、姉はすぐに辞めて、僕だけが教室に通うようになった。
だけど、中学生になるころには自然とやめていた。
当時は医者になることを目指していたから、塾の忙しさで、気づけばピアノから離れてしまっていた。
それでも、音を出すのが好きだった。
だから、時々、家の鍵盤に触れていた。
でも、実は僕、楽譜は読めない。
昔からどうしてもダメで、赤字でフリガナを書いてもらっても、頭に入ってこない。
先生の手の動きをじっと見て、それをそっくりそのまま覚えて弾いていた。
だから、手本がなければ弾けない子どもだった。
そんな僕が、大人になって――
最近になって、あらためてピアノに向き合う機会をもらった。
きっかけは、YouTubeで一緒に番組を作っている柏崎さん。
彼は、アメリカで音楽を専門的に学び、ピアノも本格的に教えられる人。
何気なく教えてもらったとき、言われた一言が、心に刺さった。
「楽譜ってね、作曲家の“想い”が詰まってるんだよ。」
――想い?
その言葉に、ドキッとした。
僕はずっと、自分の耳と感覚だけを頼りに音を追いかけていたけど、そこに“誰かの心”を感じたことは、正直なかった。
楽譜に忠実に音をなぞること。
それはただの「お手本通り」じゃなかった!!!!
作曲家が、その時、その瞬間に感じた感情、
言葉にできなかった願い、想像していた景色――
そういったものが、小さな音符たちの中に詰まっていた。
それを知ったとき、僕の中で何かが静かに変わった。
今までは“自由に弾くこと”だけが正解だった。
でも、“誰かの想いを自分の手でなぞる”という美しさが、こんなにも深くて温かいものだなんて。

自由に奏でることも素晴らしい。
でも、譜面を通して人の想いにふれるという体験もまた、
心の奥を静かに震わせてくれるものなんだ。
ピアノって、音を鳴らす道具じゃなくて、
人の心と心をつなぐ、ひとつの手段なんだなと――
改めて、そんなことを感じた。
きっとこれからも、僕は楽譜をすらすら読むことはできない。
それでも、音の奥にある“誰かの想い”を、手で感じながら、
ゆっくり、丁寧に弾いていけたらと思っている。
神社 昌弘