こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕の趣味は「読書」で、おそらく一般成人男性よりも多く本を読んでいると思います。
だいたい2日に一冊ペースで“本”を読んでいます。
毎日、新しい情報が入ってくるので、「これだ」と思うことを、つい、すぐ、みんなにシェアしたくなるのですが…
「これだ」と思った時ほど、まずは、僕自身が「実践」してみることを心掛けています。
それは、僕が講演をやり始めた時に、僕を指導してくださっていたメンターから、
「君の実体験から得たメッセージは重くて響くけど、君が本で学んだような知識は軽くて響かない!」
そんなことを言われて、
メッセンジャー(伝えるだけの人)ではなく…
ジッセンジャー(実践して意味のあることを伝える人)になりなさい!
とアドバイスをいただいたのです。
ジッセンジャーとは、うまく言ったもんだなぁ〜と思いましたが、まさに実践こそが大切だということを学び、それ以来、心に留めて大切にしています。
実践すると、言葉に「重み」が加わります。
確実に言葉に「力」が宿ります。
だから、お客様に伝わるんですよね。
もし、いま相手に通じないことがあるなら、それはまだ自分の実践が足りないのだと思います。
そして、まだまだ「口先だけ」なのでしょう。
せっかく御縁があって、このブログを読んでくださっているあなたがいてくれるから…
あなたの心に届けるために、今日も僕はジッセンジャーとして頑張りたいと思います(^_-)-☆
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
3月11日は、日本人にとって忘れられない日であり…
2020年の今は、コロナウイルスで「大変」な状況だからこそ…
いまこそ「大」きく「変」わる時で、身近な人を無償に愛することや他人を心から想い合うこと、共に助け合うことを忘れたくないと思います。
今日は、僕が忘れられない「愛を考えさせられる話」をシェアさせてください。
まずは、こちらをご一読ください。
以下は、かつて読んだ三浦綾子さんの書かれた「お話」です。
(もし内容が間違っていたらごめんなさい)
朝鮮戦争で負傷したアメリカ人青年が、アメリカの病院に送還された時、その青年は、父にこんな電話をしたようです。
「僕には、両足を切断された親友がいる。その親友も一緒に我が家へ連れて帰ってくれないか?」
父は2〜3日くらいならいいと言ったようですが、その青年は、
「一生、その親友の面倒をみてやって欲しい」
と頼みました。
でも、父はそれはできないと断り、息子を迎えに行きました。
そして、父が病院へ着いた時…
父は医師から息子の遺品を手渡されて、衝撃の事実を知りました。
なんと、彼が自殺をしたのです!
実は…
両足を切断された親友というのは息子だったのです。
これを読んだ時、僕は衝撃すぎて、しばらく固まって動けなくなりました。
親は、どこか「わが子だけが良ければいい」と思っているところがあります。
もちろん僕も、もし彼の父親だったら、同じような状況になっていたと思います。
肉親の愛情というものは「エゴの塊」で、きっと、そういうものなのでしょう!
亡くなった青年は、自分自身が、本当に大変な状況になってしまったから、他人の子どもの面倒を見るくらいの覚悟じゃないと無理だとわかっていたのかもしれません。
だから、それくらいの覚悟が父にあるのかどうかを確かめたかったのかもしれません。
僕自身も、クローン病の診断が確定される前に、8度の手術で心身ともにズタボロになっているうえに、大金が必要になり、経済的にも追い込まれ、しかも更に追い打ちをかけるように4年間の絶食が始まり…
家族みんなを巻き込むことになってしまい、それが耐えられなくて、自殺未遂をはかったことがあります。
とにかく逃げたい気持ちでいっぱいでしたが、心のどこかで、家族が僕の面倒を見る覚悟があるのかどうかを確かめていたのかもしれません。
…大切な人の重荷にはなりたくない…
…僕さえいなければ…
そんな思いで自分を殺そうとしましたが、僕の場合は、家族みんなが助けてくれました。
まわりのみんなが「ただ生きていて欲しい」と願ってくれて、すぐ傍で支えてくれたから生きれたんですよね。
そこには、母と家族と、まわりの本物の「愛」があり、無償の「愛」、愛する「覚悟」がありました。
大変な時こそ、
…自分だけではない…
…家族だけでもない…
…まわりに対しても…
ほんの少しでいいから、それぞれが「愛」を配れるといいなと思います。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は20代の頃、ほんの少しの期間ですが、イギリスで教師をしていました。
その時に「先生」という役割について深く考えさせられたことがあります。
日本では、先生の言うことが絶対で、先生から教えてもらった通りにすれば成績が上がり、それこそが知識を身に付ける最善だと思っていました。
もちろん、そのおかげで知識が増えて、良い成績がもらえて、何不自由なく育ってきたので、そのことには感謝をしています。
だから、僕が教える立場になった時も、かつての先生たちと同じように、生徒に教えるように指導したかったのですが…
イギリスに赴任をした時に、その姿勢を再考しなければイケナイ事態に直面しました。
それは、僕の勤務する教頭先生から「教える」姿勢を止めてくださいって言われたんです。
えっ!意味が分かりません…
と言うと、教頭先生は、こんな内容を伝えてくれました。
もともと「先生」というのは、先に生まれただけのもの。
決して偉いわけではなく、ただ知識と経験が、ほんの少し多いだけです。
教えることは素晴らしいですが、まずは、自分が学んだ知識や経験を「提示」するだけにしてください。
なぜなら、教えようとすることは、無意識に自分の方が正しいと思い込んで、自分の正解を押し付け、生徒を思い通りにコントロールするところがあるからです。
テキストには「答え」はありますが、人生には、これが正しいという「正解」はありません。
ここの生徒たちには、自分で考え、自ら行動できるように育ってもらいたいから、「教える」より「見せる」スタンスでよろしくお願いします。
そんなことを言われました。
当時は、僕もまだ若かったから「ちゃんと教えること」に必死になり過ぎて、どこか自分中心で、独りよがりのところがあったのだと思います。
日本でも山本五十六の名言に、こんな素敵なものがありますよね。
やってみせ 言って聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は動かじ
話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず
ここでも、まずはやって「みせる」ことから始まっていますよね。
教えるのも大切ですが、時々、立ち止まって、
・教え込もうとしていないか?
・自分の思い通りにコントロールしようとしていないか?
・自分の方が正しいと思い込んでいないか?
自身を振り返りながら、まずは「見せる」ところから始められるといいですよね。
先生だけでなく、親も、大人も、素敵な見本を「見せる」ように日々つとめられたらいいですね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕のまわりには、真面目で、頑張り屋さんで、一生懸命な人たちがいっぱいいます。
優しくて、他人に気をつかえる素敵な人たちばかりだから…
・自分が休んだら、まわりに迷惑がかかる
・「疲れた」そんな理由ではゼッタイ休めない
・みんな頑張っているのに、自分だけ休むなんて無理
・体調管理ができない自分はダメな人間
・評価を下げられたくない
そんなふうに思って、休むことに「罪悪感」を抱く人が多いです。
そんな頑張っている人たちに、ほっと一息ついてほしくて、京都駅前の“茶室”を借りてカウンセリングを始めたものの…
僕自身が忙しすぎて、お茶をたてる余裕もなく、日々の生活に追われ、いつしか僕自身も休むことができなくなってしまいました。
ある会社が調べたところ、日本における20代〜70代の男女、約7割が「休み下手」のようです。
やっぱり、多くの日本人が、休むことに抵抗を覚え、罪悪感を感じているんですね。
決して「休むこと=悪ではない」のに…
むしろ休むことは、エネルギーをチャージして、よりよい仕事につながるのに…
真面目な日本人は、我慢してでも頑張ることが良いことで、自分に鞭打っても努力することが素晴らしいと思っているところがあるから、やっぱり休めないのでしょうね。
決して、頑張ることが悪いわけではなく、努力することが悪いわけでもないです。
ただ、やりすぎは、よくないですよね。
そんなこと、わかってますよね?
でも、なかなか、できませんよね?
きっと、いろんな事情もあるでしょうし、そもそも、自分の性格を変えるなんて、とっても難しいことだと思います。
だから!!!
この際、「休む」ことも頑張って、「休む」ことを努力してみませんか?
かつて、僕が「休めない」ことを先輩に相談したところ、
「あなたは『休めない』のではなく、ただ『休まない』だけよ」
「休むプロから学べばいいのよ」
そう言って、猫カフェに連れて行ってくれたことがありました。
のんびり寝転がっている猫たちを見て、ただそこに一緒にいるだけで、自然とチカラが抜けて、スッキリ休めた気持ちになれました。
ほんと不思議でした。
でも、確実に癒されました。
それ以来、休めない時ほど、猫カフェに行っていますが、現在「疲労回復※」には、素直にプロのチカラを借りるようになっています。
そして、心地よく「休む」ことができています。
※疲労回復には『休養』『栄養』『運動』の3つがポイントになるみたいですが、僕の場合…
『休養』…よりよい睡眠を調べて、自分に合った枕を選んでもらい、専門家にアロマをブレンドしてもらって休むようにしています。
『栄養』…栄養学を学び、食生活と食習慣を一変しました。そして、必要に応じてサプリを摂取しています。
『運動』…ヨガからはじまり、呼吸法を学び、今ではパーソナルトレーナーに指導していただいています。
どれも頑張っています(笑)!
もともと、僕は頑張りたい人間なので、他人のために頑張るのはもちろん、自分自身のためにも頑張れるようになると、心も体も喜んで、これまで以上に、他人にも優しくなれて、日々の生活が豊かに、素敵になりましたよ。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
御縁がありまして、僕は2018年から毎月、東京・代々木高校で「心の授業」をひらいています。
この授業は、老若男女問わず、どなたでも参加していただけるのですが、毎回、参加者の大半が子育てで悩んでいるお母さまたちです。
休日に授業を受けに来てくださる皆様なので、子育てに関してはスゴイ!人一倍頑張っておられます。
その姿は真剣そのもので、とても素晴らしいのですが…
子育ては、ちょっとズレるとおかしなことになってしまうことがありますよね。
いろいろお伝えしたいことはあるのですが、今日はまず、カウンセラーという立場から「傾聴」に関して、少し書かせてください。
子どもが帰宅すると、子育てに真剣な親ほど、
「今日はどうだった?」
「授業は楽しかった?」
「先生に何か言われた?」
「友達とは何をしたの?」
矢継ぎ早に質問を投げかけて、一生懸命に話を聞くことがありますよね?
一見、これは聞いているように見えるので、ちゃんと聞いていると思いがちなのですが…
残念ながら、子どもの声を聴いていません!!
どういうことかというと…
実はこれ、自分が聞きたいことだけ聞いて、自分が安心して、自分が納得して、自分が満足しているだけなんですよね。
少し専門的な話になりますが、本当に「聴く」というのは、自分を無にして他者の言葉を聞くということです。
「聴く」上で大切なのは、相手の立場になって
・批判しない
・同情しない
・教えようとしない
・評価しない
・ほめようとしない
そのスタンスで、ただひたすら聴くということなんです。
これには日々の実践練習が必要で、僕も練習と実践を繰り返し、カウンセラー養成講座の受講生と共に鍛錬しているのですが…
まず第一に「聴く」ということが、自分の聞きたいことを聞くのではないと知っていただいた上で、子どもが話したいことを、じっくりと最後まで聴く!ということに気づいてくださいね。
聴くことは愛ですから…
子どものありのままを受け入れて、共感し、共にいてくださいね。
この日曜日、あなたがあなたの大切なお子さまの「声」を聴いて、お互いがホッと安心できますように祈っています。
穏やかな週末をお過ごしくださいね。