こんにちは。
先週、年に一度の大腸内視鏡検査を受けてきました。
僕は、20歳の時にクローン病(消化器官の難病)を患い、今年で22年目になります。
今ではすっかり良くなり、とっても元気に過ごしていますが、定期的に血液検査や健康診断、内視鏡検査を受けています。
すでに、この検査は20回以上も受けていますが、未だに慣れなくて、検査前日はもちろん、検査当日から憂鬱でした。
こんな機会がないと、僕は、まだまだ、あたりまえに生きている「奇跡」に心から感謝できていないんだなって思い知ります。
おかげさまで、今年も異常はなく、本当に有難い限りだったのですが、毎年、検査の時に思い出すメッセージがあるので、今日は、それをシェアさせてください。
ビルは空高くなったが 人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 得る物は少なく
たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている
家は大きくなったが 家庭は小さくなり
より便利になったが 時間は前よりもない
たくさんの学位を持っても センスはなく
知識は増えたが 決断することは少ない
専門家は大勢いるが 問題は増えている
薬も増えたが 健康状態は悪くなっている
飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 笑うことは少なく
猛スピードで運転し すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 起きたときは疲れすぎている
読むことは稀で テレビは長く見るが 祈ることはとても稀である
持ち物は増えているが 自分の価値は下がっている
喋りすぎるが 愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる
生計のたてかたは学んだが 人生を学んではいない
長生きするようになったが 長らく今を生きていない
月まで行き来できるのに 近所同士の争いは絶えない
世界は支配したが 内世界はどうなのか
前より大きい規模のことはなしえたが より良いことはなしえていない
空気を浄化し 魂を汚し
原子核を分裂させられるが 偏見は取り去ることができない
急ぐことは学んだが 待つことは覚えず
計画は増えたが 成し遂げられていない
たくさん書いているが 学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている
ファーストフードで消化は遅く体は大きいが 人格は小さく
利益に没頭し 人間関係は軽薄になっている
世界平和の時代と言われるのに 家族の争いはたえず
レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は少ない
夫婦でかせいでも 離婚も増え
家は良くなったが 家庭は壊れている
忘れないでほしい
愛するものと過ごす時間を それは永遠には続かないのだ
忘れないでほしい
すぐそばにいる人を抱きしめることを あなたが与えることができる
この唯一の宝物には 1円たりともかからない
忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に 「愛している」と言うことを心を込めて
あなたの心からのキスと抱擁は 傷をいやしてくれるだろう
忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り その時間を慈しむことを
愛し 話し あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう
人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ
今日、あなたに「心がふるえる瞬間」がありますように…
祈っています。
こんにちは。
あなたが、まわりを気にし過ぎる時、素でいる自分と、人前でいる自分の間に『差』ができてしまうことに、違和感を感じたり、「どうしよう?」って思ったりしたことは、ありませんか?
そのギャップに気づく度に、「ありのまま」の自分でいたいと願うかもしれませんし、仕方ないと諦めるかもしれませんね。
本当は、もっと自由でいいのに…
自由でありたいとチカラを入れ過ぎると、今度は、自由でなければいけないという「不自由」に陥ることさえあります。
ついには…
そんなエゴを取りたいと思って、そのエゴをとりたい「エゴ」に囚われてしまうかもしれません。
ありのままは「いまのまま」だから、なんとかしようとせずに、まずは「これでいいのだ」と認めて、許すところからスタートしてみませんか?
きっと、それが自然で、自由で、あなたらしいことにつながりますよ!
今日が、あなたにとって「そのままのあなた」でいられる一日でありますように。
こんにちは。
真面目に一生懸命に頑張ってきた人ほど、
「なんで、あたりまえのことができないの?」
「私って、こんなこともできないの?」
「何度おなじことを繰り返すんだろう?」
「はぁ、私って、まだまだだなぁ…」
「なんで、こんなにダメなんだろう?」
「ぜんぜん成長していないなぁ…」
やるせない自分に悔しくなったり、悲しくなることもあるかもしれません。
人は、頑張れば頑張るほど、無意識に理想や期待が高くなっていきますから、それと同時に、自己評価が低くなっていきます。
こんにちは。
ある日のこと。
ランドセルを背負った少年が電車に乗り込んで、私の向かい側に、チョンと座りました。
すると…
彼の目の前にお爺さんがやってきて、優しい少年は、席を譲ってあげました。
お爺さんは「ありがとう」と言って、次の駅まで座らせてもらいました。
お爺さんが降りた後、彼は嬉しそうでした。
間もなくして…
今度は、彼の目の前にお婆さんがやってきました。
優しい少年は「どうぞ」と言って、また席を譲ってあげました。
お婆さんは「ありがとう」と言って、少年は、また嬉しそうでした。
でも、お婆さんが降りた直後のこと…
ようやくホッとひと安心して、少年が席に座ると、今度は、別の老人が、彼の目の前にやってきました。
「どうするんだろう?」
彼の様子を見ていると、彼はギュッと手を握ったまま、うつむいたままでした。
顔がこわばっています。
そこに、それまでの嬉しそうな表情はありませんでした。
どうやら…
必死に涙をこらえているようでした。
「これを読んで、どう思いましたか?」
他人に優しくすることは素晴らしいことです。
でも、他人に優しくするがゆえに、自分を犠牲にしたり、自分が我慢をしたりしてしまうと、悲しくなったり、虚しくなったりすることもありますよね。
自分にも、相手にも、優しくあれること、それは何でしょうか?
「どうしたらいいのでしょうね?」
お互いがハッピーであるために、あなたは、どうしたらいいと思いますか?