こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、断ることが大の苦手です。
嫌われることが怖くて、また良い人に思われたくて、今でも断れないことがあります。
相手のことを考えすぎて、優しくありたくて、断れなくて、
そして、
「あちゃ〜、またやってもうたぁ」
って思います。
そんなことにならないように、日頃から気を付けているのが…
☆断ることは、悪いことではない!
☆断る時は、誠意を見せるチャンスである!
ということ。
かつて「断ること=悪いこと」だという思い込みがありましたが、今は「もし自分が断られる立場だったら?」と考えるようにしています。
僕の場合…
★素っ気なく断られるのは、なんだか自分のことを軽くみられているようで嫌
★あからさまな嘘で断られるのも、信頼関係ができていないようで嫌
なので、やっぱり、誠意を持って断ればいいと思っています。
そうは言うものの…
断る内容によっては、その後の人間関係にも影響を及ぼし、ひとりぽっちになってしまうことを恐れてしまうかもしれませんよね?
でもね、他人に合わせて、他人に良くあろうとすればするほど、自分の本心からかけ離れて、自分に悪い人になってゆきます。
そして、嘘をつく自分、誤魔化す自分が大嫌いになってしまいますよ。
だから、断る時は、人間関係を見直すチャンスでもあり、自分の本心を優先して、自分自身を大事にするチャンスでもあることを覚えておいて欲しいです。
そんなことを言われても…
社会や職場では、どうしても断れないことが多々ありますよね?
事実、僕もそんなことはよくあります。
そんな時、
①「深呼吸」をする
②「即答しなくていい」と心得る
そうして自分自身を取り戻し、リセットして、ひとりで“なんとかしようとしない”ようにしています。
まわりに「手伝ってください」「お願いします」と言う勇気をもつと、強がりが消えて、優しいつながりが生まれますよ。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、幼い頃から「ひとりで何でもできることが自立」だと思い込んできました。
ひとりで全部できることが偉くて、それが自立だと思っていました。
だから、とにかく、なんでもひとりで「できる」ように頑張ってきました。
でも、どうやっても「できない」ことがありました。
諦めたらいいのに、諦めることはイケナイことだと思い込んで、泣きながら頑張って、ただただ苦しいばかりでした。
そんな苦しさから解放されたのは、僕がイギリスに行ってからのこと。
僕がイギリスで日本語教師をしていた時でした。
ある日、僕が担当していたクラスに「できない」ことを「諦める」生徒がいて、それを見て、
「彼のスタンスは良くないね」
「ひとりでできるように努力した方が良いし、最後まで諦めない教育をした方がいいよね」
と同僚に同意を求めると、
「別にいいんじゃない?」
「頑張っても無理なら、さっさと諦めて自分の得意を伸ばせばいいだけのことだよね」
って返ってきて
「それは駄目だよ!」
と言い返すと、
「君は、まるで卵アレルギーの子どもに、無理矢理体質改善をさせて、なんとか卵を食べさせようとさせてるみたいだよ」
「しかも、それが一番良いと勝手に思い込んでいる」
僕はイラっとして、
「でも、それじゃ『自立』にならないし、その子の為にはならないよ」
と言い返すと、
「自立って、自分にできないことを素直に認めて『助けて』『お願いします』ってまわりを信頼することでもあるよね」
「諦めるっていうのは、自分にできることとできないことを『見極める』ことでもあるよね」
「だとしたら、できないことを素直に認めて、諦めて、できることを伸ばして、何が悪いんだ?」
そう言われて、言い返す言葉がありませんでした。
それまで、僕は、ひとりで全部やることが良いことで、それが自立につながると思っていました。
諦めずに努力し続けることこそ最高だと思っていました。
それはそれで正しいところもあるでしょう。
でも、もしかしたら、間違っている部分もあるのかもしれません。
☆「できる」ようになりたい人は「できる」ように諦めずにやればいいだけのことで、それができる環境なら最高です。
☆「できない」ことを素直に認めて、まわりを信頼して「お願いします」という勇気を持つことも素敵です。
☆「できる」ことだけ伸ばして、自分の個性をグンと伸ばすこともいいのでしょう。
結局、その時と場合、状況によって、一概には言えませんが、カウンセラーという立場上、僕のまわりには、すでに頑張りすぎの人がいっぱいいるので…
今は「助けて」という勇気をもつことが大切ですよ。「助けて」と言えた時に「自立」はできているから、ひとりで抱え込まなくていいんですよと言いたいです!
そして…
できない自分を責め続けて、自分を大嫌いになるよりも、「できる」ことをドンドン伸ばして、自分をドンドン好きになってね!
そう伝えたいです。
イギリスから帰国後、こんな本が出版されていることを知りました。
東大教授が、実体験を元に「自立」の意味を教えてくれています。
「自立」について知りたい方に、お薦めの一冊です。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
僕は、心の専門家として、心の授業をひらいたり、おはなし会をひらいたり、カウンセラー養成講座を主催したりしています。
その中で、多くの人が「もっと心を強くしたい」と願っているんだなぁと気づきます。
心は、簡単に弱くできるのに、その逆、強くすることは難しいです。
見えないもの、形のないものだから、難しいのですね。
困難や苦行を経験すると、確かに心は強靭にはなりますが、無理矢理、自分を窮地に追いやる必要はないと思います。
(それが好きな人は別ですが…)
それよりも、しなやかさを身に付けながら、立ち上がる練習をする方が、その人にとってベストタイミングで強くなれる気がしています。
この“しなやかさ”を身に付けるというのは…
まず、人生は誰もが転ぶということを知って、転ぶのを恐れるのではなく、転んでも大丈夫だと気づいて、立ち上がる練習をすること。
どういうことかというと…
ここで、赤ちゃんが立って歩く迄の過程をイメージしてください。
赤ちゃんが、寝返りからズリバイ、ハイハイからつかまり立ちへと移行し、そこから立って歩く迄の期間に、何度も何度も転びますよね。
思い返して欲しいのですが(もしかしたら記憶にないかもしれませんが)、あなたが立って歩くために、無理矢理、自分を険しい道に追いやって、自分に鞭を打って、歩く練習をしてきましたか?
おそらく、そんなことはしなかったと思います。
無意識に体を動かしながら、いろんな動作をすることによって、自然に腹筋や背筋が鍛えられ、何度も何度も転びながら、気づいて学び、そして、自然に歩けるようになったのではないでしょうか?
大人になると、どうしても、転ぶことを恐れたり、傷つくことを避けたり、失敗することを怖がったりして、“なんとかしよう”としますが、心が一番強くなるのは、転んだ時、傷ついた時、失敗した時です。
転んでも大丈夫!
傷ついても大丈夫!
失敗しても大丈夫です!
だから、
転んだ自分を責めるのではなく…
また傷ついた自分をジャッジするのでもなく…
さらには失敗した自分を追い込むのでもなく…
事実を事実として認めた上で、立ち上がることだけに意識を向けて、また一歩動き出すこと!
それが大切!
自分が自分の味方になって、自分が自分を応援できるようになった時、自然に心は強くなってゆきます。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
今日は「負けるのが嫌な人へ…」というタイトルで記事を書きますが、これ、僕のことです。
僕は、負けるのが大嫌い!
負けず嫌いな性格なので、今でも、負けるのは嫌です。
一見、穏やかそうに見えるので、勝ち負けにはこだわらないように見えますが、勝ちにはこだわります。
もちろん、結果にもこだわります。
口だけ言っても、勝たないと…結果が出ないと…説得力に欠けますからね。
ある日のこと。
大切な友人から「負けるが価値」という言葉を教えてもらい、そこで意識が大きく進化しました!
(彼女とはトークショーをひらきます…3/8東京会場・4/19大阪会場)
彼女のおかげで、勝つことが良くて負けるのが残念だと思っていた意識が一変し、負けから価値を見出すことも素晴らしいと気づいたのです。
僕の人生(本当は勝ちたいのに)圧倒的に負けが多いです。
きっと、この悔しさがあるから、勝ちにこだわってしまうのですが…
振り返ってみれば、負けてこそ見えるモノがあり、失敗してこそ分かるコトが多々ありました。
それなのに、勝ちにこだわっていたのは、負けることが人生のマイナスだと思い込んでいたからなんですよね。
この思考こそ、残念なことでした。
勝ち負けにこだわるということは、すでに自由な自分に負けていることでもあります。
勝っても負けても、人生はプラス!
そう信じていけたらいいですよね。
こんにちは。
カウンセラーの神社昌弘です。
いきなりですが…
「他人の目って、気になりますか?」
僕は、凄く気になります。
これまで、他人の目を気にしないために、必死に情報をかき集め、アレコレやってきましたが、なにをやっても、今でも気になってしまいます。
「なんで、気になるんだろう?」
僕には自意識過剰なところがあるから、勝手に見られていると思い込んでいるだけなのかもしれませんが…
そもそも、他人の目を気にするのは、あたりまえのことです。
大勢の中で生きているんだから、ごく自然なことなんですよね。
僕があなたの目を気にしているように、
きっと、あなたも僕の目を気にしているはず。
結局のところ…
他人の目を気にしていると言いながら、一番気にしているのは、自分の目なのでしょうね。
自分の目が、一番厳しいですからね。
大切なことは…
他人にどう見られるかよりも、自分が自分をどう見るか?
そこなのでしょう。