20歳でクローン病になった頃、
母はよく言っていました。
「私が代われたらいいのに」
「代わってあげたい」
息子が苦しんでいる姿を見るのは、 つらかったのでしょう。
母らしい言葉だなと思います。
優しい人でしたから。
でも、 どれだけ母がそう願っても、
僕の病気が治ることはありませんでした。
僕が痛い時は、 僕が痛い。
僕が苦しい時は、 僕が苦しい。
当たり前のことですが、
誰かが代わることはできませんでした。
カウンセリングをしていると、
時々、 同じような優しさに出会います。
子どものことで悩むお母さん。
夫のことで苦しむ奥さん。
親の介護をしている娘さん。
みんな本当に優しい。
だからこそ、
気づけば、 相手の人生まで背負おうとしてしまうのです。
私が何とかしなきゃ。
私が頑張らなきゃ。
私が我慢すればいい。
そう思う。
でも、 人にはそれぞれ、
自分で越えるしかない坂があります。
自分で学ぶしかないことがあります。
自分で歩くしかない人生があります。
見守ることは難しい。
手を出したくなるし、 助けたくなる。
愛しているなら、 なおさらです。
でも本当は、
相手の荷物を持つことより、
「この人はきっと大丈夫」
そう信じることの方が、
ずっと勇気がいるのかもしれません。
そしてもうひとつ。
人のことばかり考えている人ほど、
自分のことを忘れます。
ちゃんと眠れていますか?
ちゃんと休めていますか?
ちゃんと笑えていますか?
母の言葉を思い出すたびに、
今でも胸が温かくなります。
そして同時に思うのです。
愛することと、 代わりに苦しむことは違う。
大切な人を信じること。
そして、
自分のことも大切にすること。
その両方があって、
はじめて優しさになるのかもしれません。
人生に模範解答がない理由
正解探しをやめた時、人は自分の人生を歩き始める カウンセリングをしていると、「どちらを選べば正解ですか?」とい