僕の父は、47歳で亡くなった。
来年、僕は、その年になる。
父と同じ年になるというのは、とても不思議な感じがする。
あの頃、父は何を想って、どんなふうに毎日を送っていたんだろう?
父が亡くなった時、僕は17歳で、反抗期だった。
だから、父に謝りたいことは、山ほどある。
父は、ある事故で、僕の目の前で亡くなったのだが、それが、あまりにも急すぎたから、
「あの時、ああすればよかった。こうすればよかった」
「なんで、あんなことをしてしまったんだろう」
って、何度も、何度も、そう思った。
父に対する後悔は長く続いたし、それが一生続くと思っていた。
でも、僕がイギリスでスピリチュアリズムを学んでいた時、亡き父から教わったことがある。
それは、
「すでに許されているから大丈夫だ」
ということ。そして、
「後悔をし続けるということは、傲慢だ」
ということ。
後悔している多くの人は、
「自分が許されない」
と思い込んでいるが、僕が霊能者として活動をしていた時、これは僕の周りに限ってのことだが、許されていない人は、誰一人いなかった。
「では、なぜ許されているのか?」
それは、亡くなった人たち自身が、それまでの自分を振り返り、自分の至らなさを思い知るからだ。
自分自身も完璧でないのに、その自分を横に置いて、相手だけを責めることなんてありえない!
そもそも、僕たちは、なぜか100点満点の行動ができると思い込んで生きているが、そもそも100点満点の生き方なんてできるはずがない。
それなのに、そこを基準に生きているから「後悔」をしてしまう。
後悔をし続けるというのは、今できるようになった自分が、過去のできなかった自分をジャッジして、哀れな自分でいたいだけで、結局のところ、自分を追い込んで、自己正当化を図っているのかもしれない。
みんな間違いや失敗をして、それでも許されて、助け合って生きているのだから、お互い様だ。
もし後悔することがあれば、その時はクヨクヨしてもいいし、思い切り泣いたらいい!
でも、泣きが終わったら、ちゃんと「反省」をして「改善」すればいい!
そうすれば、必ず許される。
「いつまでも後悔し続けるのは傲慢だ!」
「自分を許す勇気を持ちなさい!」
僕は、父から教わったことを、いつも心に留めている。
後悔は、ちゃんと成長している証だ!
神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
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著書「スピリチュアルが教えてくれたこと」
https://amzn.to/3AXuCsX僕がクローン病と診断されて、15年くらい経ったある日のこと。
大腸内視鏡検査をして、担当医師から、
「おめでとう!もう、大丈夫だよ」
と言われた。
本来であれば、幸せいっぱいになって、最高の気分になるはずが、なぜか、
「これから先、どうしていいのか?」
わからなくなってしまった。
これには、自分でも驚いた。
これまで、あんなに必死になって『完治』を目指してきたのに、それが叶った瞬間、幸せよりも、不安が出てきたことに対して、大きなショックを受けた。
いつしか、僕は、クローン病に依存するようになっていて、完治させることが人生最大の目標になっていたことに気がついた。
病気は、あくまで人生の通過点であって、それを克服することだけがゴールになってはいけなかったのに、真面目すぎた僕は、問題解決ばかりに夢中になって、人生の楽しみや喜びを忘れて、いつしか、修行僧のようになってしまっていた。
夢や目標は大事だが、その先を考えることは、もっともっと大事だということを思い知った。
病気を治すことより大切なのは、日々の心身が穏やかに過ごせること。
そして、完治よりも大切なことは、長く続く人生を、元気に、豊かに、楽しく過ごせること。
僕たちは、問題解決をするために生まれてきたのではなく、『幸せ』になるために生まれてきたことを、今一度、覚えておきたい。
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著書「クローン病が教えてくれたこと」
https://amzn.to/3Otf6wv僕がクローン病だった頃、お見舞いに来て、
「大丈夫?」
って聞かれるのが、一番嫌だった。
なぜなら、いつも心の中で
「大丈夫じゃないから、病院にいるねん」
って思っていたから。
「大変だったよね?」
「辛かったよね?」
そんなふうに共感する人も嫌いだった。
そもそも、
「お前に何がわかるねん」
って思っていたから。
「乗り越えられない試練はないのよ」
なんてアドバイスをする人は、大嫌いだった。
そして、
「元気になったら、美味しいものを食べに行こうね」
って言う人は、最悪だった。
なぜなら、僕は当時、一生食事制限があると言われていたから。
僕は、難病を患うことで、精神までやられていたから、ホントひねくれていたし、すごく失礼だったと思う。
全てに対して反抗的だったから、本当に申し訳なかったと思う。
ごめんなさい。
でも、本当に大変な時には、
「大丈夫?」
なんて気安く聞かないでほしかったし、その気持ちは、今でも変わらない。
そもそも、
「大丈夫?」
と聞いて、僕が
「大丈夫じゃない」
って言ったら、どうするの?
「あなたに、何ができるの?」
「助けてくれるの?」
大抵の日本人は、ものすごく心優しいから、
「大丈夫?」
と聞かれると
「大丈夫!」
って強がって言うし、僕も最初は、それをやっていた。
でも、そんなことを繰り返す毎日で、
「なんで、病人の僕が気を遣わなきゃいけないの?」
って思うようになった。
「なんなん、この茶番!」
そんな風にまで、思うようになってしまった。
これは、僕の実体験から言えることだが、もしお見舞いに行くなら、
「大丈夫?」
なんて気安く聞かない方がいい。
助言やアドバイスなんていうのは、もってのほか!
そもそも医師や専門家でない一般人が言うことなんて、所詮、相手を救っているつもりだろうが、綺麗事を言っている自分を救っているにすぎない。
辛い経験や、同じような体験をした人は、つい
「わかるよ」
といいがちだが、あなたとは立場も状況も違うんだから、これも気安く
「わかるよ」
なんて言わない方が、絶対にいい!
もし、何かしたいなら、まずは
「そばにいてもいい?」
「お邪魔じゃない?」
と確認をとるべきだ。
そして、相手の許可をとった上で、
「私に何かできることはない?」
「今の私にできることがあったら、教えてほしい」
それくらいの配慮がほしい。
雑誌や新聞、その人がほしいものを持っていくのもいいが、お花やお菓子は要注意!お花は飾れない病室もあるし、食べれない患者もいるから。
僕は昔から、
「相手の立場になって行動しなさい」
そう言われて育ってきたから、それができているつもりだったけど、自分が病気になって、改めて、
「相手の立場になんて、なれない」
ことを思い知った。
すごくショックだったし、傲慢だった自分を反省した。
でも、だからこそ、
「相手を知ろうとしたり、わかろうとする『姿勢』や『思いやり』『行動』が大事なんだ」
ってことに気づけた。
相手の立場になりたくても、なれないし、わからないからこそ、
「わかりたい」
「共感したい」
「力になりたい」
そんな謙虚な姿勢が大事だって気づけたことは、本当に良かったなって思う。
僕が病人だった頃、ただ何も言わず、傍にいてほしかった。
ただ、そっと手を握り、肩をさすってほしかった。
そして、僕の「本音」や「本心」を聴いてほしかった。
だから今、僕は、相手の「本音」や「本心」を聴けるカウンセラーであり続けたいって、常に思う。
神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
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「クローン病が教えてくれたこと」
https://amzn.to/3Otf6wv僕は、幼い頃から「助けて」と言えなかった。
本当は助けてもらいたいのに、素直になれず、強がって、ちっぽけなプライドと見栄が邪魔をして、いつも「助けて」とは言えなかった。
「助けて」なんて言うと、負けのような気がして、相手に「借り」を作るような感じもしたから、余計に言えなかった。
だから、絶対に「助けて」とは言わなかった。
これは、クローン病になった時も同じで、本当は助けてもらいたいのに、「助けて」とは言えなかった。
むしろ、その言葉だけは言いたくなかった。
その理由は、「助けて」なんて言ったところで難病が治るわけでもないし、そもそも
「お前に何ができるねん」
って心の中で思っていたから。
そんな僕は、本当に反抗的で、嫌な奴だったと思うし、そんな意固地な自分こそが「弱い」って、いま気づく。
昔から、祖父母に
「周りに迷惑をかけないように!」
と言われてきたから、「助けて」なんて言うと、絶対に他人に迷惑がかかると思っていたし、自分一人でなんとかしなきゃいけないと思っていた。
だから、独りで必死に頑張ってきたけど、何度も手術をしている時に、看護師さんから
「もう、大丈夫なフリをしなくて良いのよ」
「せめて、病院では泣いてください」
「あなたは、助けてもらうためにここにいるのよ」
そう言われて、僕は、涙を止められなかった。
その時、素直に「助けて」と言って、ただ自然に泣くことが、こんなにも癒やし効果があるとは、思ってもみなかった。
これには、衝撃を受けた。
ちょうどその頃、インドで、
「人は迷惑をかけてしか生きていけないのだから、人のことも許してあげなさい」
と教えていることを知って、「これだ!」って思った。
人は誰しも、他人に迷惑をかけずに生きていくなんて、あり得ない!
だから、迷惑をかけて、許されて生きることが普通なんだ!
お互いに許し合って、感謝して生きればいいんだ!
そう思った瞬間、これまで溜まっていたものが解放されて、心がスーッと軽くなっていくのを感じた。
日本では、まだまだ、
「人に迷惑をかけるのは悪い」
という価値観が残っているが、そもそも、人は決して一人では生きていけないし、そこに存在するだけで、何かしら迷惑をかけている。
それでも、みんな許されて生きているのだから、感謝と共に、お互いを思いやる行動で生きていけばいい!
「助けて」と言うのは、自分に対する勇気!
そして、相手に対する信頼だ!
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「クローン病が教えてくれたこと」
クローン病になった時、僕は、自分が一番辛いと思っていた。
自分だけが犠牲者で、周りのことを考える余裕なんてなかったから。
でも、ある日の「母の行動」を見て、それが一変した。
今から25年ほど前、クローン病の治療は「経腸栄養療法」といって、鼻の穴から細いチューブを入れて、点滴の要領で成分栄養を摂取するものだった。
「自分でやるしかない」
それはわかっていた。
でも、自分の手で、鼻からチューブを入れるなんて、絶対に無理だと思っていたし、ましてや、その治療がいつ終わるかわからないのに、そんなの絶対に嫌だと思った。
「死んでもやるもんか」
そう思ったし、だから、医師と喧嘩もしたし、ストライキも起こした。
餓死しようともした。
しかし、身体は正直なもので、何も食べずに餓死しようとしても、お腹はグーグー鳴る。
この時、
「僕が命を諦めようとも、命が僕を諦めないんだ」
って思い知った。
そうして、僕の気持ちが少し落ち着いた頃、医師や看護師、家族のみんなから説得をされて、とりあえず、一回だけ、鼻からチューブを入れてみることにした。
なんとか鼻からチューブを通すことができた!
安心したのも束の間、そこから先が進まない!
喉元を通り越すことが困難で、何度もえずきながら、吐き気と闘いながら、無理やり押し込もうとした。
しかし、無理やり押し込めば押し込むほど、僕の口元からは、唾液や胃液?何かわからないものがダラダラこぼれてきて、悔しくて、悲しくて、情けなくて、涙までこぼれてきた。
「もう、嫌だ」
「せっかく頑張ろうと思ったのに、もう、無理」
僕は、チューブを投げ出して、その場から逃げた。
それから、また少し時間が経って戻ってきた時、びっくりするような光景を目にした。
なんと、母が自分の鼻にチューブを入れようとしていたのだ。
その姿を見た瞬間、目が覚めた!
「僕がやるしかないんだ」
覚悟が決まった。
それまで、僕だけが辛くて苦しいと思っていたけれど、母も辛くて苦しかったんだなって思い知った。
今だからわかるけど、大切な人が苦しければ、自分も苦しい。
愛する人が悲しければ、自分も本当に悲しい。
「辛いのは、本人だけでなく、最愛の人に『何もできない』こと」
それを痛感した。
自分のことしか考えていなかった僕は、本当に自己中だったし、あまりにも傲慢だった。
とはいえ、そんなに簡単に鼻からチューブを通せるわけもなく、失敗を繰り返す度に、愚痴や文句もいっぱい言って、暴言を吐きまくった。
そんな僕は、やっぱり、自己中で傲慢だったと思う。
この体験から、僕は理解したことがある。
それは、どんなことも、無理やり押し通そうと思っても絶対に無理だということ。
まずは、一切の抵抗を手放して、怖さも辛さも、不安も全部、一緒に飲み込む覚悟をする。
そして、決してひとりじゃないんだって理解する。
そうすれば、ようやく力が抜けて、先に進めるということ。
こうして僕は、毎晩、自分の鼻からチューブを挿入し、9時間かけて1日分の栄養を摂取した。
そんな生活を、4年間続けた。
そのおかげで、今ここに病気を克服して「元気」な僕がある。
心からありがとう。
神社昌弘(かんじゃまさひろ:本名)
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