こんにちは。
真面目に一生懸命に頑張ってきた人ほど、
「なんで、あたりまえのことができないの?」
「私って、こんなこともできないの?」
「何度おなじことを繰り返すんだろう?」
「はぁ、私って、まだまだだなぁ…」
「なんで、こんなにダメなんだろう?」
「ぜんぜん成長していないなぁ…」
やるせない自分に悔しくなったり、悲しくなることもあるかもしれません。
人は、頑張れば頑張るほど、無意識に理想や期待が高くなっていきますから、それと同時に、自己評価が低くなっていきます。
こんにちは。
ある日のこと。
ランドセルを背負った少年が電車に乗り込んで、私の向かい側に、チョンと座りました。
すると…
彼の目の前にお爺さんがやってきて、優しい少年は、席を譲ってあげました。
お爺さんは「ありがとう」と言って、次の駅まで座らせてもらいました。
お爺さんが降りた後、彼は嬉しそうでした。
間もなくして…
今度は、彼の目の前にお婆さんがやってきました。
優しい少年は「どうぞ」と言って、また席を譲ってあげました。
お婆さんは「ありがとう」と言って、少年は、また嬉しそうでした。
でも、お婆さんが降りた直後のこと…
ようやくホッとひと安心して、少年が席に座ると、今度は、別の老人が、彼の目の前にやってきました。
「どうするんだろう?」
彼の様子を見ていると、彼はギュッと手を握ったまま、うつむいたままでした。
顔がこわばっています。
そこに、それまでの嬉しそうな表情はありませんでした。
どうやら…
必死に涙をこらえているようでした。
「これを読んで、どう思いましたか?」
他人に優しくすることは素晴らしいことです。
でも、他人に優しくするがゆえに、自分を犠牲にしたり、自分が我慢をしたりしてしまうと、悲しくなったり、虚しくなったりすることもありますよね。
自分にも、相手にも、優しくあれること、それは何でしょうか?
「どうしたらいいのでしょうね?」
お互いがハッピーであるために、あなたは、どうしたらいいと思いますか?
こんにちは。
かんじゃまさひろです。
花は一枚一枚
チカラをゆるめて
咲いてゆく。
人は一つ一つ
チカラをゆるめて
笑顔の花を咲かせてゆく。
チカラをゆるめて
心に愛を持って
この自分でいいよと許せば
自然に花は咲き、笑顔もひらいてゆく。
かつて、作家のひすいこたろうさんから、こんなことを教わったことがあります。
人は長所によって尊敬される
人は短所によって愛される
それまでの僕は、短所を隠し、欠点を無くすために必死に頑張っていたけれども、チカラをゆるめて、心に愛をもって、この自分でいいよと許せた時に、僕は、自分自身からも、まわりからも愛されるんだと思い知りました。
こんにちは。
「大丈夫?は大嫌い!」
私の名前は「かんじゃ」という。
日本でも珍しい苗字の私が、二十歳の時に本当の患者になった。
クローン病だと診断されて、半年間に八度の手術、その後四年間の絶食、約十年間の闘病生活を経て、難病を克復した。
運良く素晴らしい医師や先生方に出会い、沢山の協力者のおかげで奇跡を起こすことができた。
そのおかげで現在は完治して、この体験談を本にしたり講演したりしている。
発症して十八年が経つが、これまで一番嫌だったことは、お見舞いで「大丈夫?」と聞かれることだった。
大丈夫じゃないからここにいる。
もし大丈夫じゃないと返答したら、あなたに何ができるのか?
例え思いやりの優しい言葉だったとしても、病人には酷な問いかけだ。
病気になった私は、精神まで病み、ひねくれていたのかもしれない。
でも、やっぱり、その一言は大嫌いだった。
お見舞いは、何もしなくていい。
ただ聞くのが一番いい。
傍に居て、肩をさすったり、手を握ったりするのもいいだろう。
もし何かをしたいなら、患者だけでなく、看病している側のお手伝いをしたらいい。
家族に一人でも病人が出ると家族みんなも病気になるものだ。
みんなで元気になっていかないと良くはならない。
本当の思いやりとは、相手の立場になれないけれども、「わかりたい」「寄り添いたい」という謙虚な姿勢と行動なのだと思う。
私は「大丈夫?」よりも、ただ傍に居て、まずは聞いて欲しかった。
ほんのちょっと気に留めるだけで、きっと、お互いが優しい気持ちになれると思いますよ。
病気は、誰しもかかります。かからない人は、誰もいません。どんな病気かは、人によります。病気にかかることが問題ではありません。病気に取り込まれないことです。健康な心は、病気を超えます!なんせ、病は気からですから。