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お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2026/01/14

僕は買い物で、たまに失敗します。



店員さんに勧められるまま買って、


結局ほとんど着ていない服が、

クローゼットに残っています。


それを見るたびに、僕は、胸がざわつきます。


そんな経験、ありませんか?





「もったいない」という気持ちも、


「高かったから」という言い訳も、

実はこれ、
服の問題というより、


自分の“間違い”との付き合い方なんだと思います。


調子に乗って買ってしまった自分。


判断を誤った自分。



その自分を、どこかで認めたくなくて、


服を捨てられず、手放せず、


クローゼットの奥にそっと残している。


着ないとわかっているのに、


「なんとか着よう」とする。



古着屋に持っていって、


「無駄じゃなかったこと」にしようとする。


でも、

どこか、

しっくりこない。


それはたぶん、


服が悪いんじゃなくて、


自分を責め続けている心が、

まだそこにあるから。


他人には言えるんです。


「間違ってもいいよ」


「失敗しても大丈夫だよ」って。


でも、

自分には言えない。



それどころか、


「なんであんな判断したんだ」


「やっぱり自分はダメだ」


そんなふうに、静かに責めてしまう。




ここで、少し視点をずらしてみますね。


調子に乗る自分も、


失敗する自分も、


実はすごく人間らしい。


それを「傲慢」と呼ぶか、


「不器用」と呼ぶかで、


自分へのまなざしは、まったく変わります。


間違いを認めるって、


自分を否定することじゃありません。



「そういうときもあるよね」と、


事実を受け取るだけのこと。


クローゼットに残っている服は、


あなたの失敗の証拠じゃなくて、


一生懸命生きてきた痕跡かもしれません。


もし今日、

一枚でも手放せたら、

それは服を捨てたんじゃなく、

自分への責めを、少し緩められることなのかもしれません。



2026/01/09

病気や不調を前にして、


前向きになれない自分を、

どこかで責めていませんか。


「意味を見つけられない私は、ダメなんだ」と。


病気になると、


周囲から、あるいは自分自身から、


こんな言葉を向けられることがあります。


「きっと意味があるよ」


「この経験は成長のためだよ」


「前向きに考えよう」


それらは、悪意のない言葉です。


励ましたい気持ちから出たものだとも思います。


でも、正直に言いますね。



あのときの僕には、


そのどれもが、少し重たかった。




僕は20歳でクローン病を発症しました。



手術を繰り返し、


長い絶食の時間も経験しました。


その中で、


前向きになれた日ばかりではありません。



意味づけなんて、

できない日もたくさんありました。


むしろ、


「ちゃんと受け止められない自分」


「学びに変えられない自分」

を
責めてしまう時間のほうが長かった。


でも、

あとになって、


ひとつだけ、はっきり分かったことがあります。


病気は、


人を立派にするための教材ではない、

ということです。


強くなれなくてもいい。


前向きになれなくてもいい。


意味を見つけられなくてもいい。

弱いまま、生きていい。


それだけで、十分でした。




病気は、
魂を成長させるために与えられるもの、


ではありません。


でも、


「弱さを抱えたままでも、生きていていい」


そう許してくれる存在には、なり得ます。


少なくとも、


僕にとってクローン病は、
そういう存在でした。


もし今、あなたが

・病気や不調を前に、前向きになれない


・意味づけできない自分を責めている


・「学びにしなきゃ」と思うほど苦しくなっている


そうだとしたら、


伝えたいことがあります。


あなたは、何も間違っていません。


無理に立派にならなくていい。


ちゃんと受け止められなくてもいい。


今日を、生きた。

それだけで、
もう十分です。


この言葉が、


必要な人のところにだけ、


そっと届けばいいと思っています。




2026/01/09

スピリチュアルが好きでした。


今も、正直に言えば、嫌いではありません。



でも、どこかでずっと、息苦しさを感じてきました。

「信じているはずなのに、なぜこんなに苦しいんだろう?」




スピリチュアルは、


人を救うこともできるし、


人を縛ることもできるものだと、


現場で何度も見てきました。


癒される人がいる一方で、


自分を責め続ける人も、確かにいる。


「波動が低いからだ」


「まだ目覚めていないからだ」


「ちゃんと整っていないからだ」


そう言われて、


何も反論できず、


ただ「自分が悪いんだ」と飲み込んでしまう人たち。


スピリチュアルが諸刃の刃だと思うのは、


そこに「正解」が存在しないからです。


目に見えない。


測れない。


証明できない。


だからこそ、


影響力のある人が言ったことが、正解になってしまう世界。


これは、とても危うい。


本来、心を自由にするはずのものが、


いつの間にか
「従うもの」
「疑ってはいけないもの」
に変わってしまう。


そして、ここが一番大事なところですが。


スピリチュアルに強く惹かれるとき、


多くの場合、
人は「自分を信じられなくなっている」状態にいます。


苦しい。


不安。

誰かに答えを出してほしい。


そんなとき、
断定的な言葉は、


とても魅力的に聞こえます。


でもそれは、


自分の感覚を預けてしまうということでもある。


だから僕は、


スピリチュアルが大好きだけど、


同時に、大嫌いです。


希望をくれるから、好き。


でも、人をコントロールできてしまうから、嫌い。


救いにもなるし、


静かに人を壊すこともある。


それを、
「良い・悪い」で分ける気はありません。


ただ、
近づき方を間違えると、

危険だ
それだけは、はっきり言えます。




スピリチュアルを使って、
自分を責めなくていい。

わからなくなったら、
日常に戻ればいい。


ごはんを食べて、


空を見て、


ちゃんと眠る。


それで、十分です。


信じられなくなったら、
無理に信じなくていい。

疑問を持てるあなたは、
もう十分、健全です。


スピリチュアルが苦しくなったあなたへ。



それは、あなたが弱いからでも、


鈍いからでもありません。


ちゃんと、自分を守ろうとした結果です。


その感覚だけは、


どうか、手放さないでください。


それが、
一番まっとうな「目に見えない力」だと、


僕は思っています。


※また読み返したくなったら、
しんどい夜に、
そっと戻ってきてください。




2026/01/09

誰かのことを思い出すだけで、


胸の奥がきゅっと重くなる。



そんな自分を、

「こんなこと思っちゃいけない」と責めていませんか。




人を嫌いになる感情って、


多くの人が思っている以上に、


強く我慢した人ほど、あとから出てくるものです。


 

  • ずっと空気を読んできた
  • 迷惑をかけないようにしてきた

  • 大人として、ちゃんと振る舞ってきた

 

だからこそ、


「嫌い」という感情を持つこと自体に、


どこか罪悪感を感じてしまう。


でもね。


それ、あなたが冷たいからでも、

心が狭いからでもありません。




実は、相談の現場でよく聞くのは、


「人を嫌いな自分が嫌いです」という言葉です。


嫌いな人がいることよりも、


嫌いになれないほど我慢してきた自分を、


どこかで責め続けている人が、とても多い。


本当は、


距離を取りたかった。


関わらずに済むなら、そうしたかった。


でも、


・家族だから


・職場だから


・大人だから


・スピリチュアル的に良くない気がして

そんな理由で、
自分の感覚を何度も後回しにしてきた。


それは、優しさであり、

同時に無理でもあります。


「みんな仲良く」なんて、正直、無理です。


人には、価値観も、テンポも、限界も違う。


好き嫌いがあって当たり前です。


あなたが誰かを嫌うように、

あなたのことを苦手に思う人がいても、

おかしくない。


でも、

それで
あなたの価値が下がるわけでも、


人として欠けるわけでもありません。


好かれる時があれば、


そうでない時もある。
それだけのことです。


無理に仲良くしなくていい。


分かり合おうと頑張らなくていい。


必要なのは、
戦うことでも、

許すことでもなくて、
ただ、

淡々と距離を保つことだったりします。


尊重はする。


も、踏み込まない。


それだけで、人間関係はずいぶん楽になります。


もし今、


「嫌いな人がいる自分」に苦しんでいるなら、


こう思ってあげてください。


それでも、私は今日まで、ちゃんとやってきた。


その一言だけで、十分です。

気づいた人だけ、
静かに、胸に置いておいてください。




2026/01/09

いつも気づいたら、
自分だけが踏ん張っている。


頼り方が、もう分からなくなっていませんか。


「大丈夫?」と聞かれても、


反射的に「大丈夫です」と答えてしまう人へ。




長くカウンセリングをしていると、


本当に多いのが、
がんばりすぎてきた人ほど、

頼るのが下手という現実です。


 

  • ちゃんとしてきた
  • 人に迷惑をかけないように生きてきた
  • 
弱音を吐かず、空気を読み、場を回してきた

 


その姿は、立派です。
間違っていません。


ただ——
そ

のまま続けていると、


少しずつ「孤立」に近づいてしまうことがある。


自立と孤立は、よく似ていて、
でも、まったく違います。


自立は
「必要なときに人に頼れる強さ」
孤立は「全部ひとりで背負ってしまう癖」

外から見ると同じに見えても、


内側では、心の疲れ方がまるで違います。


今、これを読んでいるあなたに、


今すぐ始めてほしいことがあります。


それは、
甘える練習です。


と言っても、


誰かに大きなお願いをしなくていい。


弱さを全部さらけ出さなくてもいい。

最初の一歩は、
とても小さくていい。


それは、
「大丈夫なふり」をやめること。


「大丈夫です」の代わりに、


「ちょっと疲れてて」


「今、余裕がなくて」

その一言でいい。


それだけで、
周りは、ちゃんと気づきます。




人は、
あなたが強く見えるほど、


無意識に甘えてきます。


頼られているうちに、


あなたはまた一人で背負う。


そして、誰にも頼れなくなって、


心が静かにすり減っていく。


これは、
意思が弱いからでも、


心が未熟だからでもありません。


頼る練習をしてこなかっただけなんです。


スピリチュアルでも、

心理でも、
本当に大切なのは、


「現実の人間関係に戻ってこれること」


一人で悟らなくていい。


一人で乗り越えなくていい。


全部、自分ひとりでやらなくていいんです。


今日は、
誰かに頼れなくてもいい。


ただ、
「大丈夫なふり」を、

少し休んでみてください。


それだけで、
あなたの世界は、


静かに、変わり始めます。


必要な人だけ、


この言葉をそっと持ち帰ってください。



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