京都・東京・オンライン
  1. お布施ブログ
 

お布施ブログ

神社昌弘のお布施ブログです。

実体験から得た「生きる知恵」を、皆様の日常に役立てていただきたいという願いを込めて書いています。


最新のコラムは、こちらにも書いています。
2026/01/07

人生はつらいもの。

我慢して、耐えて、乗り越えるもの。

そんなふうに生きてきませんでしたか。



わかります。

実際、そうやって生きてきた人ほど、真面目で、責任感が強くて、人に迷惑をかけない人が多い。


「人生は修行だから」

「楽をしちゃいけない」

「自分さえ我慢すれば丸くおさまる」


そう信じて、一生懸命やってきた。

それ自体は、間違いではありません。


ただ──

ひとつだけ、現場で何度も見てきた事実があります。


人生を“修行”だと思いすぎると、

心が少しずつ固くなるということです。


自分にも、人にも、厳しくなる。

余裕がなくなり、正しさが先に立つ。


気づけば、「わかってない人」を裁く側に立ってしまう。


本人は悪気がない。

むしろ「良かれと思って」やっている。


でもそれは、

“成熟”ではなく、

疲れきった正義になってしまうことがある。


ここで、少し視点をずらしてみてください。


人生は、修行ではありません。

少なくとも、「苦しむことが前提」ではない。


生きる中で学びが起きることはある。

痛みから気づくことも、確かにある。


でもそれは、

楽しまない代償として与えられる罰ではない。


本当に人にやさしくなれる人は、

自分の機嫌を、自分でとれている人です。


本当に社会に貢献できる人は、

自分をすり減らしている人ではなく、

自分らしく生きている人です。


スピリチュアルの世界でも、

「目覚め」や「成長」という言葉が使われますが、

それは何か特別な存在になることではありません。


むしろ──

ちゃんと日常に戻れているか。

ちゃんと笑えているか。

ちゃんと、自分を嫌いにならずに生きているか。


そこが、何より大事です。


人生を楽しんでいる人は、

誰かを見下しません。

誰かを説教しません。


「こうすべき」も、あまり言わない。

静かで、柔らかくて、でも芯がある。


それは、

修行を終えた人の姿ではなく、

無理をやめた人の姿です。



もし今日、

「人生は修行じゃなくてもいいのかもしれない」

そんな気持ちが、ほんの少し芽生えたなら──

それだけで、もう十分です。



2026/01/07

スピリチュアルの世界では、

「目覚め」という言葉がよく使われます。

 

  • 意識が変わった
  • 次元が上がった
  • 真理に気づいた

 

そんな言葉を耳にすると、

どこか特別な存在にならなければいけないような、

そんな気がしてくる人もいるかもしれません。


でも今日は、

あえて真逆のことを書きます。


 

本当に目覚めた人ほど、

普通の生活を大切にします。

 


これは、

長く人の心に向き合ってきて、

はっきり言えることです。


魂の目覚めが浅いとき、

人は「非日常」に惹かれます。


・特別な体験

・強いエネルギー

・派手なメッセージ

・分かりやすい変化


刺激が強く、

わかりやすいものほど、

「成長している気」がするからです。


でも、

目覚めが深まってくると、

関心は静かに移っていきます。


 

  • 朝、ちゃんと起きること
  • ごはんを味わって食べること
  • 部屋を整えること
  • 体を労わること

 

一見すると、

スピリチュアルとは無関係に見えること。


けれど実は、

ここにこそ、魂の成熟が現れます。



目覚めた人は、

人生を「修行」にしません。


無理をしない。
自分を追い込まない。
悟ったふりもしない。

その代わり、

生活を丁寧に扱います。


なぜなら、

この体、この日常、この時間こそが、

魂の学びの場だと知っているからです。


派手な体験を語らなくなり、

誰かを導こうともしなくなる。


それは、

冷めたからでも、

後退したからでもありません。


もう、証明する必要がなくなっただけ。


僕自身、

生と死の境界を何度も経験して、

最終的に残ったものは、

とてもシンプルでした。


 

  • 今日、ちゃんと生きたか。
  • ちゃんと休んだか。
  • ちゃんと、自分を裏切らなかったか。

 


それだけです。


もし今、あなたが

・派手なスピリチュアルに疲れてきた

・普通の生活を心地よく感じ始めている

・静かな時間を大切にしたくなっている

のだとしたら、

それは停滞ではありません。


魂が、ちゃんと地上に根を下ろし始めた証です。


最後に。

目覚めとは、

空へ飛んでいくことではありません。


この人生に、

ちゃんと降りてくること。


普通の一日を、

大切にできるようになったなら、

それ以上の目覚めはありません。

2026/01/05

今日から、仕事始め。

とはいえ、勢いよくスタート、というよりも、

静かに、深呼吸をしながらの始動です。


14時迄は、池袋駅前での、対面カウンセリング。


セッションが終わったあと、

その流れのまま、もう一つの大切な仕事へ。


神社のプロテクトミストづくりです。

 


 

昨年、イベントでお渡ししたところ、

「安心感が違う」

「持っているだけで落ち着く」

そんな声をたくさんいただいたミスト。


正直に言えば、

「また欲しい」と言ってもらえるのは、

作り手として、かなり嬉しいものです。

 


今年は午年!

スピード、しなやかさ、そして自由。


だから今回は、

守るだけのプロテクトではなく、

・軽やかに動ける

・魅力が自然に開く

・人とのご縁が流れよく巡る

そんなイメージを大切にして、

香りとエネルギーのバランスを組み直しました。


重たくならない。

でも、ちゃんと守られる。

背中を押すけれど、無理はさせない。


神社昌弘らしく言うなら、

「がんばらなくても、ちゃんと整う」

そんなミストです。

 



一本一本、

ラッピングをしながら、心の中で思うのは、

特別なメッセージではありません。


ただ、

「無事でありますように」

「今年も、自分を大切にできますように」

それだけです。


だからタグには、

シンプルに for you。


派手な言葉はいらない。

でも、想いは、きちんと届く。


このプロテクトミストは、

これからの対面イベント参加者の方へ、

ささやかなプレゼントとしてお渡しする予定です。


2026年を、

少し軽やかに、

少し華やかに、

そして、ちゃんと自分らしく。

そんな一年の、お守り代わりになれば嬉しいです。


今年もまた、

こうして人の人生にそっと関われることに、

静かに感謝しながら。


さあ、2026年。

ゆっくり、でも確かに、動き出しています。

 



2026/01/04

夕方18時。

空はすでに暗くなってきて、

今日が1月4日だということを、ふと意識しました。


今年は、まだ一本も文章を書いていなかった。

でも、不思議と焦りはありません。


「遅れている感じ」もしない。

「出遅れた感覚」もない。


ただ、

ちょうどここに立っている

そんな感覚だけが、静かにあります。




年が変わると、

人は無意識に自分を急かします。


・今年こそは

・もう動かなきゃ

・ちゃんと始めないと


でも、本当の始まりは、

号砲が鳴る瞬間ではありません。


気づいたら、もう呼吸していた。

気づいたら、もう立っていた。

気づいたら、もうここにいた。


そんなふうに、

音もなく始まっているものの方が、

実は一番、確かだったりします。




これまで、たくさんの人の話を聞いてきました。

 

  • 立ち止まっている人
  • 迷っている人
  • 動けなくなっている人
  • 自分を責め続けている人

 


でも、はっきり言えることがあります。


止まっているように見えても、

人は止まっていません。


進み方が、静かなだけです。


水が流れていないように見えても、

地下ではちゃんと巡っているように。


もし、今年に入って

「まだ何も始められていない」と感じているなら、

どうか安心してください。


まだ整っていなくていい。
まだ言葉にならなくていい。
まだ自信がなくていい。

今日ここまで生きてきたこと自体が、

もう十分すぎるほどの“一歩”です。




この文章は、

もっと早く書こうと思えば書けました。


でも、

この時間、この空気、この静けさだからこそ、

今がちょうどよかった。


2026年の最初の言葉は、

「頑張ろう」でも

「変わろう」でもありません。


「今のままで、もう始まっている」


その確認からで、十分です。



今年も、

無理に引っ張りません。

無理に前向きにもしません。

無理に答えを出そうともしません。


ただ一緒に、

立ち止まりながら、

確かめながら、

必要なときに、必要な一歩を踏み出す。


そんな一年を、

ここから静かに始めていきます。


夕方18時。

今日という日の、

ちょうどいいはじまりに。




2025/12/28

狂言を観て、

こんなにも笑い、

こんなにも深く頷いたのは、初めてかもしれません。


年末に、思いがけず

「笑いの本質」に出会う時間をいただきました。




2025年12月27日。

神田神社にて開催された

「和泉流宗家による 年忘れ狂言LIVE in EDOCCO」 に出席しました。


正式参拝から始まり、狂言公演、そしてお食事まで。

年の締めくくりに、これ以上ないほど整った流れ。


こういう時間の使い方は、

やはり心と人生に、静かに効いてきます。




今回の狂言は、

赤塚不二夫氏 生誕90周年を記念して制作された新作狂言。


赤塚不二夫ワールドと、日本の伝統芸能・狂言。


一見、異なる世界のようでいて、

実はとても相性がいいのだと、

観ていてすぐにわかりました。


笑いがある。

でも、軽くない。


むしろ、

「なるほど」

「たしかに」

「まさに、その通り」

そんな言葉が、自然と心に浮かぶ。


正直に言うと、

僕の中にも

「狂言は少し難しいもの」

というイメージがありました。

 

  • 言葉が古い
  • 所作が独特
  • 知識がないと楽しめないのではないか

 

ところが――

その先入観は、気持ちよく裏切られました。




狂言は、

人間の本質を描く芸能。


だからこそ、

時代が変わっても、

名前が変わっても、

僕たちは笑ってしまう。


赤塚不二夫作品がそうであるように、

人の弱さ、愚かさ、ズレ、可笑しみを

責めるのではなく、愛をもって描く。


笑いとは、

人を軽くするためのものではなく、

「本質を突く」ためのものなのだと、

あらためて教えられました。




年末は、

一年の出来事を振り返り、

自分を整える時間。


そんな時期に、

この狂言を観られたことは、

個人的にも、とても意味深い体験でした。


日本の伝統芸能は、

決して過去のものではなく、

今を生きる僕たちの心に、

ちゃんと響いてくるものなのですね。


来年もまた、

こうした「本物の時間」に

身を置いていきたいと思います。
<<  <  3  4  5  >  >>