✨真面目にやってるのに、評価されない。
✨派手な人ばかりが注目されて、なんだか虚しくなるとき。
それでも、折れずに生きてきた“あなた”へ、僕からのメッセージです。

おはようございます、神社昌弘です。
「なんで、あの人が評価されてるの?」
「どうして、自分ばかりが地味なままなんだろう」
そんなふうに思ってしまうとき、ありませんか?
誰かを妬んでるわけじゃない。
でも、ずっと真面目に、コツコツ努力してきた自分が、
見えないままになっている気がして、ふと苦しくなる。
■遅刻しない
■手を抜かない
■地味だけど、いつも全力でやってる
■でも、華やかな人にばかりスポットが当たる
そんな“影の努力”をしてきた人に、僕は何人も出会ってきました。
そして、僕自身もそうでした。
僕は、多分、誰よりも“下積み型”だと思います。
・毎日のようにブログを更新
・ブログもメルマガも20年
・自営でも寝坊や遅刻、一切なし
・忘れ物をしたことがない
・いつも15分前行動
・手土産を欠かさない
・恩を受けた人には、必ず手紙で報告
・部屋はいつもぴかぴかに
・誕生日には必ずメッセージ
書ききれないくらい、「ちゃんと」を積み重ねてきました。
でも正直、それが“目に見える評価”になることって、少ないんですよね。
今の時代、目立つことが正解みたいに見えることもあります。
SNSでは「映える発信」が勝ちで、真面目な人ほど疲れてしまう。

でも、僕はこう思っています。
“積み重ね”は、裏切らない。
評価されなくても、見えなくても、
あなたの人生をちゃんと支えてくれる。
華やかさに一歩遅れることがあっても、
真面目さは「深く届く力」を持っています。
人の信頼って、じわじわと育っていくもの。
あなたの真面目さは、必ず“誰かの安心”になっています。
もし、報われないな…と感じたら、
まずは、自分をねぎらってください。
「今日もちゃんとやった自分、えらいぞ」
って、誰より先に自分が言ってあげてください。
誰かの拍手がなくても、
あなたの“ちゃんと”は、世界を支えてる。

「優しいのに、損ばかりしてしまう」
「気を遣いすぎて、いつも自分が疲れる」
そんな方へ、“優しさ”と“強さ”の意外な関係について、心をこめて書きました。

「優しさ」と「強さ」は、
同じように見えて、まったく別のものだと、
僕は思うんです。
優しいから、強いとは限らない。
けれど――
本当に強い人は、たいてい優しい。
たとえば、かつての僕は――
✔ 周りの空気を読みすぎてしまう
✔ 期待に応えなきゃと、自分を犠牲にしてしまう
✔ 「大丈夫」と言いながら、本当は泣きたい
そんな“優しさ”で、いつも自分をすり減らしていました。
病気も重なり、心も体も限界ギリギリ。
でも、ある時ふと気づいたんです。
「僕、誰のために、ここまで我慢してるんだろう」って。
優しいのに、苦しんでいる人。
優しいのに、いつも後回しにされる人。
優しいのに、自分を見失っている人。
そういう人たちには、共通点があります。

それはーー
「自分を守る強さ」が足りていないこと。
僕が「本当に強い」と思うのは、こんな人です。
✔ 傷つけることを恐れず、本音を伝えられる
✔ 優しさと毅然さの“境界線”を引ける
✔ 嫌われることを恐れすぎない
つまり、
優しさを“選べる余裕”がある人。
優しさに、“軸”がある人。
だからこそ今、伝えたいんです。
🌿「優しくある前に、“自分に強く”あってほしい」と。
それは誰かに勝つための強さじゃない。
自分を壊さないための、内側からの強さです。
その強さが育つとき、
あなたの優しさは、もっと深く、もっと本物になる。
💬たとえば、僕のカウンセリングに来てくださったある女性。
いつも笑顔で、みんなの相談役。
でも、実は誰にも言えない苦しみを抱えていた。
その方が、ある日こう言ってくれたんです。
「神社さんに出会って、“強くなる優しさ”を知りました」
あの一言は、今でも僕の宝物です。
🌱
やさしいあなたが、
“自分の味方になる強さ”を持ったとき――
その優しさは、誰かの救いになります。

「なんでそこまでやるの?」
誰にも見られていないのに、ひとり静かに掃除をしていた――
あの時間が、僕にとって「心のメンテナンス」でした。

こんにちは、神社昌弘です。
「誰も見てないのに、なんでそこまでやるの?」
昔、そんなふうに言われたことがあります。
たしかに――
夜の職場にひとり残って、
雑巾で床を拭いたり、生徒の机や同僚のデスクを丁寧に磨いたり。
見せびらかすわけでも、評価されるわけでもない。
でも、あの時間だけは、
「自分の心」と静かに向き合える時間だったんです。
僕が20代のころ、イギリスの学校で教えていた時の話です。
授業が終わり、
生徒たちがいなくなった教室で、
ひとり黙々と掃除をしていました。
ホワイトボードを磨きながら、
生徒一人ひとりを思い出し、机を拭く。
ロッカーの落書きを消し、忘れ物をそっと整える。
なにも考えず、ただ動いているだけの時間。
でも、終わるころには、不思議と心がスッと軽くなっていた。
人の心って、
誰かに見られていない時こそ、
本当の意味で整うものなのかもしれません。
・雑念を一緒に拭き取るように
・モヤモヤを流すように
・「今日」という一日を、そっと締めくくるように
掃除は、ただの行動じゃなくて、
“心のメンテナンス”そのものだったんですね。

もちろん、今はあの頃のような掃除はしていません。
でも、あのとき得た「整える感覚」は、今の僕を支えています。
カウンセリングも、発信も、日常も――
すべての土台に、あの“静かな時間”が生きています。
だから、もし今、心がちょっとザワザワしているなら――
スマホを置いて、ちょっとだけ「拭く」ことをしてみてください。
それだけで、心の風景が変わることがあります。
誰にも見られていない行いって、
報われないように思えるかもしれません。
でも、ちゃんと「あなたの中」に積み重なって、
人生の静かな土台になっていきます。
褒められなくてもいい。
誰にも言わなくていい。
“自分のために”整えることが、何より大事なんです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました🍃
もし、今少しだけ心が重たいな…という方がいたら、
「自分のためだけに整える時間」、どうぞ大切にしてみてくださいね。

「真面目だね」「しっかりしてるね」
そんなふうに言われてきたけれど、
本当はずっと、心の中で疲れていた。

おはようございます、神社昌弘です。
今日は、がんばり屋さんのあなたに、
そっと伝えたい話を書きました。
「ちゃんとしてるね」って、ほめ言葉だけど…
「ちゃんとしなきゃ、嫌われる」
「迷惑をかけたら、ダメな人だと思われる」
「誰かが困ってたら、僕が動かなきゃいけない」
そんなふうに思っていたかもしれません。
僕は、人一倍気を配り、人の感情に敏感で、空気を読み、先回りして動いてきました。
それは立派な「才能」だけど、ときに自分を置き去りにする“クセ”にもなっていた気がします。
本当は、ちょっと休みたい。だけど…
・頼まれたら断れない
・誰かが困っていると、手を差し伸べてしまう
・何かあると「僕が悪いのかも」と思ってしまう
そんな自分に、もうひとりの自分がツッコミを入れる。
「もっと楽に生きたいのに、なんで僕は“いい人”をやめられないの?」
答えは、シンプルです。
“いい人でいないと、不安だから”。
ちゃんとしていれば、
誰にも責められないし、
誰も自分を見捨てないと思ってしまう。
でも、
もう十分やってきたんじゃないかな。

ちゃんとしてる人が、一番疲れてる理由
「迷惑かけちゃダメ」
「人に気を使わないと」
この“ちゃんと病”、放っておくと心が擦り切れていきます。
なぜなら、「ちゃんとしてる自分」にしか価値を見出せなくなるから。
●疲れてるのに、がんばってしまう
●悲しいのに、「大丈夫」と言ってしまう
●本当はやりたくないのに、笑顔で引き受けてしまう
これは、僕自身の話でもあります。
・寝坊も遅刻も、一切なし
・忘れ物をした記憶がない
・どこへ行くにも、15分前には必ず到着
・初対面でも手土産を忘れず持参
・誕生日には必ずメッセージを送る
・恩を受けた人には、感謝の手紙を書いて近況報告
・部屋はいつもぴかぴか――
こんなふうに、書ききれないくらい「ちゃんとして」生きてきました。
でも、心のどこかが、ずっと張りつめていた気がする。
「ちゃんとしていれば、誰かに迷惑をかけない」
「ちゃんとしていれば、見捨てられない」
「ちゃんとしていれば、認めてもらえる」
そんなふうに、自分の存在価値を“努力”や“気配り”で証明し続けてきたのかもしれません。
これからは、“ちゃんとしない”練習を
「もう、ちゃんとしなくていいんだよ」
「ちょっとダメな自分も、好きでいていいんだよ」
最初は戸惑うかもしれません。
でも、小さな“ゆるめポイント”から始めてみてください。
・洗い物を後回しにする
・LINEの返信をすぐに返さない
・寝坊する日をつくる
・泣きたいときに、泣く
それだけで、自分が戻ってくる感覚があるはずです。
あなたは、もう十分「ちゃんと」してきた
だからこそ、これからの人生は――
「ちゃんと生きる」じゃなくて、「自分を生きる」時間にしませんか?

「これって、やってもいいんでしょうか?」
「私の選択、間違ってませんか?」
「なんで自分はこれをしたいんだろう?」
カウンセリングで、こんな言葉をよく耳にします。
真面目で、きっちり、正解を求める人は、理由がわからないと動けない。
意味が見いだせないと不安で決断できない。
そんな「正解主義」に縛られて、身動きが取れなくなっている方が、本当に多いのです。
でもね――
人間の選択って、そんなに理屈通りじゃないんです。
なぜ「意味がないと不安」になるのか?
「どうしてそれを選んだの?」
「理由を説明してごらん」
そう聞かれ続けてきました。
学校では、直感よりも「論理的な説明」を求められます。
好き嫌いで答えたら「わがまま」だと言われるし、
気分で動くと「落ち着きがない」と指摘される。
だから、いつの間にか僕たちは、
「これは正しいのか?」
「誰かに認められるか?」
「理由を説明できるか?」
そんな基準で自分の気持ちすら評価するクセがついてしまったのです。

「直感はダメ」なんて、誰が決めた?
つまり、本当に自分に合った選択って、意味や理由のない“なんとなく”の中にこそあるのかもしれません。
意味や理由を手放すと、人生が軽くなる
ここで、心が軽くなる7つのヒントをシェアします。
1. 「気分」で動いていい
朝起きて、「今日は外を歩きたいな」と感じたら、それが正解。
「今日は静かに過ごしたいな」と思ったら、それが必要な時間。
2. 「好き」に理由はいらない
何かを好きになるのに、根拠なんていらない。
「なんか好き」で十分。それがあなたの感性です。
3. 「やりたい」は立派な動機
「何のためにやるの?」と聞かれても、「やりたいから」でいいんです。
それ以上の理由は、あとからついてきます。
4. 「意味がわからない」からこそ、面白い
意味がないことにこそ、人は癒され、笑い、創造性を取り戻します。
旅、音楽、アート――みんな、意味なんて超えてますよね。
5. 正解より「快」を選ぶ
「正しさ」よりも、「心地よさ」を基準にしてみてください。
迷ったら、自分の体と心に「どっちがラク?」と聞いてみましょう。
6. 「確認しない勇気」を持つ
誰かに「それでいいよ」と言われなくても、あなたが「いい」と思ったら、それで十分です。
7. 「間違ってもOK」と思える柔らかさ
人生は、間違えるから面白い。修正できるから成長できる。
だからこそ、気楽に選んで、試して、やり直していきましょう。

自分の「好き」「気分」「直感」を信じる力
人生に、いちいち意味や理由なんて、いらない。
本当はそんなふうに、もっと自由に生きてよかったんです。
「自分の気分で決めていい」
「直感で選んでいい」
「意味がなくても、楽しんでいい」
そう思えるだけで、心はふっと軽くなり、呼吸がしやすくなるはず。
最後に:あなたの感性は、誰にも否定できない
「なんでこれが好きなんだろう?」
「意味がないのに、やりたくなる」
そんなふうに迷った時は、こうつぶやいてみてください。
「理由なんて、いらない。私は、私を信じる。」
あなたの選択に、いつも正解がある必要はありません。
心の声に素直になること、それが何よりも“あなたらしさ”なんです。
