大切な人が亡くなると、
たくさんの物が残ります。
時計。
洋服。
写真。
手紙。

そして時々、
その物よりも重たく残るものがあります。
それは、
「手放してはいけない気持ち」です。
僕は17歳で父を亡くしました。
長い間、
父が使っていたペンを持っていました。
父を忘れたくなかったからです。
でもある日、
気づいたことがありました。
そのペンを持ち続けていた理由は、
愛情だけではなかったのかもしれない。
もっと話せばよかった。
もっと優しくすればよかった。
そんな後悔や罪悪感も、
一緒に抱えていたのです。
カウンセリングでも、
亡くなったご家族の遺品を処分できずに悩む方に出会います。
でも本当に手放せないのは、
物ではなく、
「捨てたら申し訳ない」
「忘れてしまう気がする」
そんな気持ちだったりします。
けれど、
手放すことは忘れることではありません。
感謝しながら区切りをつけることです。
大切な人を想うことと、
自分を縛ることは違います。
思い出を大切にすることと、
罪悪感を抱え続けることも違います。
持ち続けてもいい。
手放してもいい。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、
あなたにはあなたの人生があります。
あなたが幸せでいていい。
それを忘れないでほしいのです。
▼noteはこちら
https://note.com/shrine0731/n/n3d910b47dd71今朝、不思議な夢を見ました。
夢の中で僕は、
大きな声で怒鳴っていました。
「だから嫌だったんだ!」
その声に自分自身が驚いて、
目が覚めました。
夢だったのですが、
なぜそんな夢を見たのかは、
なんとなくわかる気がしました。

僕は昔から、
「私がやればいいか」
が癖でした。
頼まれると断れない。
困っている人を見ると放っておけない。
誰かがやらなければならないことなら、
自分がやろうと思ってきました。
それは決して悪いことではありません。
誰かの役に立てることは嬉しいし、
喜んでもらえることも嬉しい。
でも、
それが長く続くと、
心は少しずつ疲れていきます。
なぜなら人は、
感謝されたいのではなく、
本当は
「わかってほしい」
生き物だからです。
本当は疲れている。
本当は休みたい。
本当は誰かに頼りたい。
でも優しい人ほど言えない。
責任感の強い人ほど言えない。
だから、
「大丈夫です」
「平気です」
「私がやります」
と言ってしまう。
そして気づけば、
頑張ることが当たり前になってしまいます。
カウンセリングでも、
そんな方にたくさんお会いします。
家族のために頑張ってきた人。
介護をしている人。
職場で気を遣い続けている人。
母として。
妻として。
娘として。
誰かのために生きてきた人。
みなさん本当に優しい。
でも、
優しい人ほど、
自分の涙には気づきません。
誰かの涙は心配するのに、
自分の涙には鈍感です。
だから今日は、
そんなあなたに伝えたいのです。
よく頑張りました。
本当に頑張りました。
あなたがいたから助かった人がいます。
あなたがいたから守られた人がいます。
あなたがいたから続いてきた日常があります。
だから、
今日は少しだけ自分を優先してください。
あなたが断ったくらいで、
世界は壊れません。
あなたが休んだからといって、
誰かを裏切ることにもなりません。
ずっと誰かを支えてきたのですから。
たまには、
自分の味方になってあげてください。
そしてもし、
今日まで誰も言ってくれなかったなら。
僕から伝えます。
みんなのために頑張ってくれて、
本当にありがとう。
最近、以前よりイライラする。
些細なことが気になる。
家族の一言に腹が立つ。
そんな自分が嫌になる。
カウンセリングでも、
よくお聞きするご相談です。
そして多くの方が、
「私、性格が悪くなったんでしょうか」
とおっしゃいます。

でも私は、
そうは思いません。
むしろ、
イライラしている人ほど、
頑張りすぎていることが多いのです。
家族のこと。
仕事のこと。
介護のこと。
将来のお金のこと。
毎日たくさんのことを抱えながら、
なんとかやっている。
だから疲れる。
だから余裕がなくなる。
人は余裕がなくなると、
怒りやすくなります。
それは性格ではありません。
心と身体からのサインです。
だからまず、
自分を責めないでください。
怒りそのものが問題なのではなく、
余裕がなくなっていることが問題なのです。
そんな小さなことでも構いません。
優しい人ほど、
自分を後回しにしてしまいます。
でも、
あなたが穏やかでいることは、
決してわがままではありません。
周りの人のためにも、
大切なことです。
もし最近、
イライラすることが増えたなら。
自分を責める前に、
ひとつだけ聞いてみてください。
「私は今、ちゃんと休めているだろうか?」
怒りは欠点ではありません。
心からの
「少し休みたい」
というメッセージなのかもしれません。
▼続きはこちら(note)
大切な人を亡くしたあと、
僕たちの心に残るのは、
言われた言葉よりも、
聞けなかった言葉かもしれません。
「本当はどう思っていたのだろう」
「私のことを愛してくれていたのだろうか」
「最後に何を伝えたかったのだろう」
そんな問いを抱えながら生きている方は少なくありません。

僕自身、20代の頃にイギリスで亡くなった人との対話について学びました。
いわゆる霊媒と呼ばれる世界です。
その経験から今でも時々、
「亡き父の声が聞きたい」
「母は何を思っていますか」
というご相談をいただきます。
ただ、長年その世界に触れてきて感じることがあります。
それは、
亡くなったからといって、
人は急に別人になるわけではないということです。
生前、無口だった人は、
やはり無口なことが多い。
感情表現が苦手だった人は、
やはり多くを語りません。
だからこそ時々、
「あぁ、やっぱり父らしいですね」
と依頼者の方が笑うことがあります。
その瞬間、
僕は少し安心します。
そこには確かに、
その人らしさが残っているからです。
僕たちは、
亡くなった人から特別な言葉を求めたくなります。
「ありがとう」
「愛していた」
「誇りだった」
そんな言葉が聞けたら、
救われる気がすることもあります。
けれど本当に大切なのは、
言葉そのものではないのかもしれません。
生きていた時の癖。
不器用さ。
距離感。
沈黙。
そして、
言葉にできなかった優しさ。
そうしたものの中に、
その人らしさは今も残っています。
夫婦でも、
親子でも、
最後まで分かり合えないことがあります。
聞けないまま終わることもあります。
でもそれは、
愛がなかったという意味ではありません。
むしろ、
言葉にならなかったからこそ残るものもあります。
もし今、
亡くなった誰かを思い出しているなら。
無理に答えを探さなくても大丈夫です。
聞けなかった言葉を追い続けなくても大丈夫です。
あの人が生きていた痕跡。
あの人らしかった不器用さ。
そして、
共に過ごした時間。
その中に、
もう十分な愛情があったのかもしれません。
人は亡くなったから全部を語るわけではありません。
けれど、
語らなかった沈黙の中にも、
確かに愛は残っています。
僕はそう思っています。
「定年後、夫が家にいる。」
そう聞くと、
「仲が良くていいですね」
「贅沢な悩みですね」
と言われることがあります。
実際のカウンセリングで、
とてもよく伺うご相談です。
夫は元気。
年金もある。
大きな病気もない。
経済的にも困っていない。
それなのに、
なぜか苦しい。
なぜか息が詰まる。
そんな気持ちになる女性は少なくありません。
夫に悪気があるわけではない。
ただ、仕事を離れたあと、
生きがいや居場所を見失ってしまう人もいます。
そして、
気づけば妻ばかり見てしまう。
でも、
理解できることと、
苦しくないことは別です。
優しい人ほど、
「寂しいんだろうな」
「可哀想だから」
と我慢します。
けれど、
自分の気持ちを後回しにし続けると、
いつか息苦しくなってしまいます。
一人で買い物に行く。
友達とお茶をする。
好きな本を読む。
静かな時間を過ごす。
そんな小さな自由は、
決してわがままではありません。
むしろ、
その自由があるからこそ、
人は優しくなれるのだと思います。
人生の後半に必要なのは、
愛情を増やすことではなく、
お互いの自由を少し残しておくこと
なのかもしれません。
続きはこちら
今回のnoteでは、
・なぜ定年後の夫婦関係が苦しくなるのか
・優しい人ほど我慢してしまう理由
・夫を変えずに自分を守る方法
・「離婚したいわけじゃない」という本音
について綴りました。
ぜひご覧ください。
