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心の処方箋

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2026/02/15

魚が食べられないまま、水産学部に進学した人間は、たぶん僕くらいだと思う。

 

信じられないかもしれないけど、

僕は、大学生になるまで「魚」が食べられなかった。

理由は、可哀想だったから。

 

ほんと、馬鹿みたいでしょう。

でも、冗談でもキャラ作りでもなく、マジで、本気の話です。



 

僕は近畿大学の水産学科で、魚の研究をしていました。

 

魚が大好きで、幼少期から水槽が9つ。

庭には池を掘って、魚を飼っていた。


とにかく、魚が好きすぎた。

だから、食べられなかった。

嘘みたいだけど、本当の話です。

 

大学に進学して、魚の専門的な勉強が始まった頃。

ある日、教授が何気なく言いました。

 

「まさか、この中で魚が食べられない人はいないよね?」

 

その瞬間、ドキッとしました。

あ、これ、言えないやつだ、と。

 

それからです。

勇気を出して、少しずつ、食べるようになりました。

 

今では、普通に食べられます。

刺身も焼き魚も、何なら好きです。

 

でも、今振り返ると、

僕は、かなり変わっていたんだと思います。

 

自分では気づいていなかったけど、

今思えば、相当、変。

 

この魚のエピソードだけじゃありません。

 

「え?」と言われるような話は、

まだまだあります。

 

実は、

水産学科を卒業したあと、

僕はまったく別の道を歩きました。

 

難病になり、

何度も手術をし、

4年間ほとんど食べられない生活を経験し、

イギリスに渡り、スピリチュアルやサイキックサイエンスを学び、

今はカウンセラーとして、心の相談を仕事にしています。

 

水産学部出身で、

スピリチュアルも扱うカウンセラー。

 

やっぱり、変ですよね。

 

でも、不思議なことに、

僕はずっと、周りに認められてきました。

 

「そのままでいい」

「あなたらしいね」

「変わってるけど、そこがいい」

 

そう言ってくれる人が、必ずそばにいた。

 

どんなことをしても、

どんな選択をしても、

僕は直されなかった。

 

「それ、おかしいからやめなさい」

「普通はこうでしょ」

 

そう言われ続けていたら、

たぶん、今の僕はいません。

 

変でもいい。

むしろ、変なのがその人の個性で、その人。

 

そうやって、

許されて、認められてきた。

 

それは、本当に素晴らしい家族や仲間、友人に恵まれてきたからだと思っています。

 

大事なことがひとつあります。

 

人は、

誰かに言われて、本当の意味で変われるものじゃない。

 

変わるとしたら、

自分で「変わろう」と思った時だけです。

 

僕が魚を食べるようになったのも、

カウンセラーになると決めたのも、

イギリスに渡ると決めたのも、

 

誰かに直されたからじゃない。

 

自分で、必要だと感じたから。

 

変でもいい。

不器用でも、ズレていてもいい。

 

でも、もし今、

その自分がなんとか幸せに生きられているなら。

 

それは、

周りのおかげです。

 

認めてくれた人がいて、

許してくれた人がいて、

愛してくれた人がいたから。

 

だから、お願いがあります。

 

あなたが何を選んでも、

何を始めても、

何に惹かれても。

 

「それ、いいね」と言ってくれる人を、

どうか大切にしてください。

 

そして、自分の中の

「これがやりたい」という小さな声を、

簡単に裏切らないでください。

 

自分を直さなくても生きられた人は、

きっと誰かに、ちゃんと守られてきた人です。

 

そして今度は、

あなたがあなた自身を守る番なのかもしれません。

2026/02/14

「この数珠、つけたほうがいいですか?」

そう聞かれた瞬間、僕は即答しました。


「要りません。」




先日、ある女性から数珠を勧められていると相談を受けました。


けれどその方は、すでに首元に美しいダイヤモンドを輝かせていた。


その瞬間、答えは決まっていました。

 

僕は、数珠を否定しているわけではありません。


お守りとして、一時的に活用するのは大いに結構。


でも――

「これがないと不安」


「霊能者に言われたから」


「みんなが持っているから」

この動機で身につけるなら、話は別です。


それは信仰ではない。


安心を餌にした依存です。

 

宝石には、希少価値がある。



採掘する人、

研磨する人、

設計する人。


多くの人の手を経て、大切に作られている。


だから、強い。


一方で数珠は、念がこもる。



祈りも、

執着も、

不安も。


持つ人の「怖れ」が染み込みやすい。


そして、長く身につけると、縛られる。


カバンに神社のお守りを何年もぶら下げているようなもの。


正直に言えば、ファッションとしても重い。

 

王族や貴族、富裕層の人たちが
日常で数珠をぶら下げていますか?


彼らは輝きを身につける。
テンションが上がるものを選ぶ。


なぜか。

不安を避けるためではなく、自分の価値を祝福するために。

 

願い事があるなら、数珠をつけてもいい。


でも、ただ「なんとなく不安」ならやめなさい。


その不安こそが、余計なものを引き寄せる。


「これがないと守られない」


そう思った瞬間に、あなたは弱い側に立つ。


僕は、迷える子羊を増やしたくない。


SNSやメディアは、恐怖を煽る。


不安を作り、商品を売る。

でも本来、あなたはすでに光っている。

 

宝石でなくていい。


高価でなくていい。


キラキラして、
見た瞬間に気分が上がるもの。


それで十分。


「しなければいけない」ではなく、


「好きだからつける」が、本当の開運。

 

誰かに確認した時点で、
もう答えは外にある。


もっと素直に。


もっとシンプルに。


もっと直感的に。


楽しくジュエリーを身につけよう。

あなたは、守られる存在ではない。

 


輝く存在だ。


2026/02/13

正しいことを、ちゃんとやってきた。


それなのに、なぜか楽になれない。

 

そんな人を、僕は何人も見てきました。



 

僕のカウンセリングは、

たぶん普通じゃないと思う。

 

もちろん、話は聴く。


徹底的に、丁寧に、最後まで聴く。


 

でも同時に、ズバッと言う。

 

ときには、コーチのようになる。


ときには、占い師のような顔をする。


必要とあらば、

霊媒のような立ち位置になることもある。

 

一貫性がないように見えるかもしれない。



でも、理由はとてもシンプルだ。

 

とにかく、

目の前の人に楽になってほしい!!!

 

ただ、それだけ。

 

正直に言えば、


僕は「手段」には、こだわっていない。

 

心理学でもいい。


スピリチュアルでもいい。


現実的なアドバイスでも、厳しい言葉でもいい。

 

その人が、
今より少し息がしやすくなるなら。


肩の力が、ほんの少し抜けるなら。

 

それでいいと思っている。

 

極端なことを言えば、


僕じゃなくてもいい。

 

僕のところを通過点にして、


別の誰かや、

別の場所で楽になるなら、


それが一番いい。


そう本気で思っている。

 

なぜなら、


僕自身がそうだったからだ。

 

難病になったとき、


「正しい治療」


「正当なやり方」


「常識的な選択」

それらをきちんと守っても、


僕の体は、まったく良くならなかった。

 

もう、

そんなことを言っていられる状態じゃなかった。

 

僕はただ、
生きたかった。


元気になりたかった。


だから、

手段なんてどうでもよかった。



回復するなら、

治るなら、何でもよかった。

 

おそらく、


本当にしんどい人も同じだと思う。

 

理屈よりも先に、


理想よりも先に、


とにかく、この状態から抜け出したい。

 

そんなときに、


「正しいやり方」にこだわる必要はない。

 

その人にとって、


今いちばん効くこと。


今いちばん届くこと。


それをやらせてもらうのが、


一番誠実だと、

僕は思っている。

 

だから、

昨日のカウンセリングでは、


あえて厳しく叱った。

 

喝を入れた。


はっきり言った。


目を覚ましてもらうために。

 

優しさだけでは、


その人が前に進めないと感じたからだ。

 

僕は怒ることもある。



でもそれは、

支配したいからじゃない。


コントロールしたいからでもない。

 

生きてほしいから。

楽になってほしいから。



もうこれ以上、

自分を傷つけなくていいと、
心から思うから。

 

スピリチュアルを、


信じても、信じなくてもいい。

 

占いを、


好きでも、嫌いでもいい。

 

ただ、
楽になればいい。


それだけで、

僕は十分だと思っている。

 

「正しさ」よりも、


「回復」を優先していい。

 

それを思い出したくなったら、


またここに戻ってきてください。


2026/02/12

「間違えたくない」


「失敗したくない」

──その時点で、もう詰んでます。

 

はっきり言いますが、


それは慎重でも賢明でもありません。



ただの停止です。



 

失敗していないんじゃない。


何もしていないだけ。

 

だから、

何年経っても同じ場所で
同じ悩みを抱えて、

同じことをグルグル考えている。

 

それを「考えている」と呼ぶのは、


正直、甘い。

 

今年も、悶々としている人に
同じことを伝えています。

 

「ほんの少しでいいから、
今までと違うことをしよう」

 

理由?


年廻り的に“動け”だからです。

 

でも、返ってくるのは決まって
こういう言葉。

 

「もう少し考えてから」


「失敗したら怖いので」


「タイミングを見て」

 

……で?


その“もう少し”は、いつ終わるんですか。

 

カウンセリングでは強要しません。


傾聴は大事です。

 

でも、知人や友人には、
遠慮なく言います。

 

「間違えるのが怖い、という考え方そのものが間違いだ」

 

そもそも、人生に
正解も失敗もありません。

 

あるのは、

・損した“気がする”得した“気がする”


・周りと比べて自分に都合がいいか悪いか

 

ただ、それだけ。

 

自分で勝手に点数をつけて、


勝手に落ち込んで、


勝手に人生を止めている。

誰にも止められていないのに。

 

「動かなくてもいいんですよね?」


と聞かれることがあります。

 

別に、いいですよ。


止まっていても。

 

でも、

動かずに
変わりたいとか


報われたいとか
楽になりたいとか

それは、


努力じゃなくて妄想です。

 

僕たちは、生きています。


心臓は、今日も勝手に動いている。

 

つまり、


本来は“動く存在”なんです。

 

それを


「間違えたくない」


「失敗したくない」

そんな理由で
人生をストップさせるのは、


自然に逆らっている。

 

そりゃ、苦しくなります。

 

無理はしなくていい。


大きく変わらなくてもいい。

 

でも、

「間違えたくない」


「失敗したくない」

この言葉を言い訳にして
何もしない人生だけは、


本気で、もったいない。

 

以上。


これが、僕の本音です。

 

もし、ここまで読んで


「分かっているけど、やっぱり動けない」



そう感じたなら──

それは、あなたが怠けているからではありません。



これまで、ちゃんと傷ついてきたからです。

 

だから、無理に今すぐ動かなくていい。


責める必要もない。

 

ただ、


「動けない自分を守るための言い訳」

を
真実だと信じ込まないでほしい。

 

必要なタイミングは、必ず来ます。


そのとき、

あなたが動ける自分でいられますように。


2026/02/10

僕は、いまでも手紙を書く。

メールやLINEが当たり前になった今でも、だ。

今朝も、書いた。

 

自他共に認める筆まめ、というより、

「書かずにいられない性分」なのかもしれない。

とにかく、よく書く。

 

書くのが好きかと聞かれたら、嫌いではない。


でも、それ以上に大きいのは、

ちゃんと伝えたいという気持ちだ。



 

昔から、本を読むと、じっとしていられなかった。

 

心に残る一文に出会うと、

「ありがとうございます」で終われない。

 

本に挟まっている読者カードに、

その時の自分の状況や、

救われた一文、

なぜ胸に残ったのかを、正直に書いて送った。

 

するとある時、

著者本人から、直接、手紙が届いた。

形式的なお礼ではなく、

「あなたの言葉に、こちらが励まされました」と。

 

その後、実際に会うことになり、

静かな喫茶店で、人生の話をした。

 

不思議なご縁だったけれど、

振り返ると、書いたから、始まったご縁だった。

 

僕は文具屋さんが好きだ。

 

便箋を選ぶ時間、封筒の紙質、

シールを一枚貼るかどうかで迷う、その間。

すべてが、「相手を思う時間」だからだと思う。

 

字が綺麗ですね、と言われることがある。

 

でもそれは、才能でも技術でもない。

きっとただ、

雑に伝えたくなかっただけだ。

 

カウンセリングでも、同じことを思う。

 

早く答えを出すより、

急いで安心させるより、

その人の言葉が、自然に出てくるのを待つ。

 

相手を思って続けてきたことは、

不思議と、あとから形になる。

 

無理に上手くなろうとしなくても、

「想い」があれば、続くし、深まる。

 

ブログも、手紙も、

僕にとっては同じ延長線上にある。

 

自己表現というより、

ご縁の手入れのようなものだ。

 

急がなくていい。

上手く書かなくていい。

 

ただ、想いを込める。

 

それだけで、

言葉は、ちゃんと行くべきところへ届く

と思う。
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